リーフグリーン かわら版

2011年12月

東日本大震災ボランティアに参加して 

東日本大震災ボランティアに参加して    

 私は、10月14日より4日間、東日本大震災ボランティアに参加した。 目的地は岩手県遠野市の社会福祉協議会 ”まごごろネット”です。 ここは、東日本大震災の後方基地で、阪神大震災時の鷹取教会と同じ役割です。 救援物資の集積と、ボランティアの拠点となっています。
当日は、約200名のボランティアが全国から集まっていました。 この中には、外国人や僧侶の方もいました。 私達は津波の被害の大きかった陸前高田市大槌町に瓦礫の撤去に行きました。 町は防波堤に守られた住宅地で、すぐ近くに裏山があります。現場に立つと住宅が波にさらわれ、基礎のコンクリートの部分のみが一面にひろがり、柱の一本もありません。
息をのむ光景でした。これは、津波が堤防を越えるときに力が増幅され、破壊力が増すためだそうです。 大槌町では住民の約1割の1500名の方が犠牲となり、大きな船が山裾まで上陸していました。 今回、住民の方々は避難されていてお会いすることが出来なかったが、被災地は、7万1000人(11月23日現在)以上の方が避難しています。 不自由な生活を強いられ、寒い長い冬を迎えます。
 私達は電気も水も衣類も食料も自由に使え、温かい布団に寝る事が出来ます。その分、感謝して被災地を支援しなければと思いました。
 私は、今朝も勤務先の事務所が入っている教会の周りを掃除しました。遠くて簡単に行けない被災地の掃除のつもりでやっています。相変わらず犬の糞、空き缶、たばこの吸い殻等多くのゴミが落ちています。平和な日常の中で簡単にゴミを捨てる人がいる一方、被災地では家も車もすべてが流され惨状は目を覆うばかりです。一日も早く平和で美しい町の復興を願わずにいられませんでした。
                                           

ミニデイサービスを閉じるにあたって

ミニデイサービスを閉じるにあたって   ミニデイ担当 三橋 智子

 地域の野田北部集会所をお借りして、ミニディサービス ”うきうき野田北” を2001年9月から始めました。 まったく手探りの状態から、チラシ配り、参加者集めと大変でしたが、長い年月続ける事が出来たのも、スタッフ、ボランティアの皆さんの力添えのおかげです。10年という時間を多くの人々と共有出来ましたことは感謝とともに万感の思いです。 本当にありがとうございました。
 10年もの月日は、亡くなられた方、施設に入所された方、長期入院中の方々と、様々な人間模様がございました。 でも、「ミニディに行くのが楽しみで」と、10年間休まずに出席された方も少なからずいらして、私にとりましては、そのお声がミニディサービスを続けてきてよかった喜びに変わってきています。 このたび、12月15日をもちまして閉じるにあたり、利用者さんのみなさまもスタッフもボランティアとして係って下さったみなさまも、共に楽しみ、共に涙し、思い出深い日々を送ってくださるようにと祈念します。
  スタッフの皆さん利用者さんの思い出を、これからも暖かく持ち続けて歩んで参ります。
                                 

事例検討会と新年会のお知らせ

ヘルパーの皆様へ

 事例検討会を兼ねた新年会を1月に予定しています。詳細は決定次第お知らせ致します。

2012年ふれあい事業計画案

2012年ふれあい事業計画案 

 10年にわたりミニディサービスを、影になり日向になり応援して頂きまして誠にありがとうございました。余すところ12月15日(木)まで後少しとなりました。おかげ様で無事終了の運びとなりそうです。
 来年からは、皆様と一緒に考える居場所作りを提供していきたいと思います。
 例えば…一緒に料理を作って、みんなで楽しく食事をしましょう。体操をしましょう。音楽を楽しみましょう。など
  
 手始めに〝みんなでお食事にきませんか“を企画しています。毎週木曜日の昼、温かい食事を囲み(国際色豊かな料理が期待出来ます)みんなでご飯を囲みほっこりしませんか。 是非一度お立ち寄りください。
  
第1回開催日時:平成24年1月19日(木)カトリックたかとり教会内食堂にて

          食事代:500円

体力の衰えを痛感しました(通信70号)

体力の衰えを痛感しました   理事長 吉本 加津子

 赤、白、黄色にピンクと色とりどりの小菊が香り高く、競い合うように咲き誇っています。あまり手入れもしないのに、元気に花を咲かせてくれて感謝です。
 私は今年も、恒例の六甲全山縦走に挑戦しました。5人の仲間と、午前3時に自宅を出て須磨浦公園に集合し、5時から登り始めました。例年にない暑さで、汗びっしょりになって歩いていました。菊水山の手前で仲間の一人がリタイア、私も摩耶山上の掬(きく)星(せい)台(だい)でリタイアしてケーブルカーで山を下りてきました。残りの3人は全長56キロを走破し、見事に完走されました。
 脚の筋肉痛と胃のむかつきでよれよれになっての帰宅途中、若い男性に席を譲られ、私もそんな歳になったのかと大変ショックでした。そのときは、体調が悪そうだったから譲ってくれたのかも…と言い訳を考えましたが、先日またしても若い男性に席を譲られ、「ああ、いよいよ私も若い人から労(いたわ)られるような歳になったんだ。」と観念しました。昨年まで完走出来ていたものが、早々とリタイヤを余儀なくされ、体力の衰えを痛感しました。これからはあまり無理をしないように自重しようと思いながらも、一抹の寂しさは禁じえませんでした。
 歳をとるとはこういうことなのか…。今まで出来ていたことが、一つまた一つと出来なくなっていくものだと悟りました。これまでご高齢の方々からよく訴えられていたことではありますが、ようやく実感を伴って理解出来るようになりました。
 しかし、ものは考えようです。これからはがむしゃらに頑張らずに、若い人に労(いたわ)られつつ、楽しみながら出来ることを続けていけばいい…と考えると、かえって気が楽になりました。みなさんも助けられ上手になって、「楽しみながら」を合言葉に、一緒に前向きに生きていきましょうね。