「南の風(沖縄・奄美)」カテゴリーアーカイブ

南の風~奄美編~9月23日の放送


いつものようにこの番組の進行は大橋愛由等さん。
9月は奄美に関する五つのテーマを語ることで番組を構成されました。
★テーマ1./奄美・沖縄に向かう阪神航路が休止に。
かつて神戸・中突堤から出航していた奄美・沖縄航路。
わたしがはじめて沖縄へ向かったとき(1969年。中学生で坊主頭だった。パスボートを持って沖縄に上陸した)もこの波止場から船出しました(懐かしいなあ)。
この時は団体旅行だったのですが、当時は飛行機が高価で、ツアー旅行も沖縄へは航路で向かうのが多かったと思います。夏休みともなると南に向かう学生を中心とした若者であふれ客室に入りきらずにデッキで寝泊まりしているような時代だったのです。現在神戸からは六甲アイランドの岸壁から出航しています。

貨客船として運行していたのですが、乗降客が減少していたのに加えて、今年3月に関西空港からLCC(格安航空会社)が奄美大島に就航しはじめたのが大きく影響したのでしょう。「休止」と発表されました(沖縄・奄美に向かうのになにがなんでも船に乗って向かわざるをえなかった時代の記憶があるわたしにとっては、淋しい想いが募ります)。でも仕方ないですね。まず料金が2倍ほど違う(LCCが当然安い)。その上、船旅は乗船時間が長いので何度か船内で食事をしなければならず、その料金も必要となる。(ただ貨物船としては就航を続けるそうです。生活物資を運ぶのに必要ですから)。

★テーマ 2./今年の奄美の夏は暑く雨の多寡に悩まされました

気象の話題です。奄美群島の南部(沖永良部、与論)で水不足のために旱魃の被害が出ています(サトウキビが水不足による葉っぱが丸くなるロール現象が起きています。収穫時の収量に影響が出ます)。かつ同時に喜界島では「50年に一度の大雨」に見舞われ道路や農作物(特産のごま)などに被害が出ました。天象の変化に対してはどうしようもないですね。奄美は旱魃になることを防ぐために、国営事業として地下ダムの建設(喜界島、徳之島)などが進められています。沖永良部島には多くのため池が作られているのです。群島には大きな川がないために農業用水の確保が死活問題なのです。

★テーマ3./天皇陛下が11月に屋久島、沖永良部島、与論島を訪問

アキヒト天皇たっての希望で、屋久島、沖永良部島、与論島を11月に訪問することが決まりました。かつて天皇が奄美群島を訪れたのは、1927年(昭和2)に旗艦三笠に乗ってヒロヒト天皇、2008年(平成20)「奄美復帰50周年」の記念式典参加のために、アキヒト天皇が、それぞれ奄美大島を訪れています。(この訪問が実現すると天皇が奄美群島で訪れていないのは徳之島、加計呂麻島、喜界島、与路島、請島となります)。そして天皇が来島することによって島民間で天皇観がどのように変化していったのかを注目するひとがいます。(奄美にとって近代になるまで天皇は異族〈ヤマト民族〉の神でした。17世紀から明治維新に至るまで薩摩藩の直轄支配を受けながらも、宗教では琉球王朝・尚家の聞得大君を頂点とするノロ祭祀体系の中に奄美は位置づけられていました。それが明治以降の急速な皇民化政策によって、天皇制を受容していくようになるのです〈鹿児島県に編入された奄美群島には各島の「神高い」場所に鹿児島の郷社である高千穂神社が分祀されていくなど〉)。

★テーマ4./10月21日(土)に神戸文学館で島尾敏雄を語るリレートークイベントを開催します。

このイベントは私(大橋愛由等)が企画・進行するものです。

「神戸から 島尾敏雄を問う」
文学・思想 そして奄美の位相から
リレートーク at 神戸文学館
(日時)2017年10月21日(土)午後2時~3時30分
(場所)神戸文学館
〒657-0838神戸市灘区王子町3丁目1番2号
電話・FAX 078-882-2028
(参加費)200円(資料代)
(出席者)
〈語るひとたち〉
(1)司会・企画/大橋愛由等(おおはし・あゆひと) 図書出版まろうど社代表、詩と俳句を書く。著作に詩集『明るい迷宮』、句集『群赤の街』ほか。
(2)語り手/高木敏克(たかぎ・としかつ)
小説家。第4回 神戸文学賞授賞。2016年度 神戸新聞文芸最優秀 授賞。文学同人誌「漿」主宰(現在休刊中)著作に『暗箱の中のなめらかな回転』、『白い迷路から』ほか。「月刊神戸っ子」などの雑誌に執筆。芦屋大学講師 、保険コンサルタント
(3)語り手/喜山荘一(きやま・そういち)
奄美群島・与論島生まれ。マーケター。企業の商品開発や販売促進を支援。著書に、『珊瑚礁の思考』『奄美自立論』『聞く技術』『10年商品をつくるBMR』他がある。
(案内文)
2017年、生誕百年を迎える作家・島尾敏雄(1917-1986)に関するリレートークを催します。島尾は生涯いくつかの場所に住みましたが、実家は神戸にあり、神戸と縁が深い作家です。また今年は映画「海辺の生と死」が上映され、ミホ夫人との戦争中の出会いと愛が表現されています。リレートークでは「神戸の作家」としての小説家島尾の評価と、ミホ夫人の故郷であり島尾が深くかかわった奄美にとって島尾はどんな存在であるのかを多角的に問い直す語りを予定しています。神戸と奄美にとって、島尾敏雄とはどんな表現者であったのかとの問いかけであり、島尾が築いてきた仕事についての〈顕彰〉から〈検証〉へまなざしを変えてゆくキッカケになればと想っています。

★テーマ5./今月の「奄美特選俳句」
番組では以下の二句を紹介しました。
(南海日日新聞に掲載されている「なんかい文芸」の俳句から選んでいます)
〈神の道白ハブの衣透けており 山野尚〉
〈群青の空に一枝百日紅 山すみれ〉
一句目。「神の道」とは、集落(シマ)にある祭祀の際にノロらが使う道のことだろう。「神道(かみみち)」と呼ぶ場合もある。(わたしの住む東灘区にも式内社の保久良神社がある山から海(茅渟の海)に向かう細い一本の道があり、いまは祭祀としては使われていないが、神道(かみみち)であったろうと思われる)。シマの人たちならその小径の意味は充分に分かっていて、そこで見つけた白ハブは、神そのもの、もあるいは神の使いに見えたのだろう。シマの中にいまだ濃厚に残っている祭祀空間があってこその作品だろう。

二句目。色の対比が鮮やか。「群青」と「百日紅」の赤が一句の中で同居することによって、色彩感が豊かになる。空と花というふたつのモノを並べて配置することで成り立つ俳句文芸の妙がうまく表現されている。

南の風〜奄美編 8月の放送

8月19日の南の風〜奄美編〜

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徳之島の宝 中島清彦特集 ハヤシ泉サダ子さん(写真は収録風景)
2010年1月19日収録した音源でお送りします。




司会進行はいつもの通り大橋愛由等さん。
8月は徳之島のウタシャ・中島清彦さんの特集です。
中島さんは天城町在住のほこるべきウタシャです。
徳之島ばかりではなく、奄美群島はもちろんのこと、もっと大きなレベルで絶賛されてしかるべき歌い手です。
紹介するのは、2010年1月19日に徳之島で私(大橋愛由等)が収録してきたものです。
いままで少しずつ紹介してきましたが、今回は一挙に特集を組みました。
すべて徳之島で歌い継がれたうたばかりです。
ハヤシは泉サダ子さん。やはり天城町在住です。
中島さんは、「う枕節」で第22回奄美民謡大賞(平成13年)の最高賞である「大賞」を受賞されておられます。
♫放送した曲目(カッコ内は演奏時間)
01.島朝花  (04:23)
02.意見口説   (04:51)
03.島カンティミ  (02:36)
04.まんかい玉  (04:32)
05.徳之島一切節  (03:38)
06.井之ぬいびガナ (04:58)
07.さぎ節  (02:27)
08.まんかいじゃし  (04:03)
09.まんこい節  (02:22)
10,三京ぬ後  (03:20)
11,もちたぼれ  (03:59)
――――――――――――♫
中島さんのシマウタ世界を堪能してください。

南の風~沖縄編 7月放送

(この写真は1995年の震災直後の長田のまち)

★奄美がたり(1)

映画「寅さん」の最後の作品に登場した奄美・加計呂麻島諸屯集落にある民家に宿泊できるようになりました。この映画は、1995年の制作。そうです、震災直後の神戸・長田にもロケ隊がやってきたあの作品です。映画の一部となったことで神戸・長田にも縁深い作品ですね。宿泊について詳しくは以下のサイトをご覧になってください。
http://colocal.jp/topics/lifestyle/renovation/20170519_97125.html
宿泊予約などについての問い合わは。
電話:0997-63-2117(奄美設計集団内)※平日9:00~18:00
メール:amami@den-paku.com

★奄美がたり(2)

今年の「奄美民謡大賞」の「大賞」に輝いたのは、平田まりなさん。カサン唄を代表するウタシャ・松山美枝子さんのお孫さんです。そこで番組では、わたしが奄美で録音してきた秘蔵の松山美枝子さんと福山幸司さんとの絶妙のコンビによるシマウタを紹介しました。この「奄美民謡大賞」は奄美における影響力のある民謡大会のひとつで、この大会で「大賞」に輝くと、奄美でウタシャとして広く認められ、かつ受賞したウタシャのひとも、「大賞」の栄誉を背負い、シマウタを歌い続けることで、奄美の歌謡文化を広め深化させてゆく責務を追うのです。ひとつの民謡大会が、その該当する地域に大きな文化的影響力を与えるという奄美ならではの事象なのです。(註/ただ、この民謡大会は奄美群島のなかでも、沖永良部島、与論島はシマウタの様相が異なるので、対象になっていません。沖永良部島は最近独自の民謡コンクールを開催しています)
平成23年度までの「奄美民謡大賞」の「大賞」受賞者は以下のサイトに掲載しています。
http://www.synapse.ne.jp/hatashin/simauta/amamiminyoutaisyou/minyoutaishou.html

★奄美がたり(3)

奄美で発行されている日刊紙のひとつ南海日日新聞に掲載された奄美の子どもたちによる環境標語(おおよそは五七五で作られている)をいくつか紹介しました。大半は標語らしいまとまったものですが、なかには枠に入り切らない発想の作品もあるのです。子どもたちの感性って自在ですね。奄美は自然が豊かで、この群島しかない貴重な動植物も多く、こどもたちもその希少さひとつ作品を紹介しましょう。
〈かわもうみもたいせつにしてむしもたいせつにしよう〉
川、海を大切にするという表現は常套なのですが、最後に虫を取り上げているところに注目しました。本土の民俗で「虫送り」という行事があります。この民俗行事が対象とする「虫」は農作物に被害を与える害虫なのですが、この標語の「虫」は「虫浄土」をイメージします。つまり、虫もまた川、海と同位相で、敬愛すべき対象とみなしている心もようが見えてきます。きっとこの標語をつくったのは心優しい子どもなのでしょうね。

★奄美がたり(4)

「エネルギーの地産地消」を考える、を語りました。関電、九電の管内では現在原発が稼働していますが、奄美群島の電気は原発による発電とはいっさい関係がありません(かつてすべての原発が稼働している時も関係なかった)。群島内は、ディーゼル発電によって需給をまかなっているのですが、最近群島内で自然再生エネルギー(主に太陽光発電)による発電量が多くなり、島嶼内における「エネルギーの地産地消」化が進んでいます(わたしは全国各地でこの「エネルギーの地産地消」地域が広がっていけばいいと思っているのです)。しかし最近では自然再生エネルギーの発電量が増えて、その発電量をおさえてほしいと九電から要望されています。これは主に技術的な面からの要請です。近い将来、奄美における「エネルギーの地産地消」が進捗するために(蓄電装置など)いくつかの課題はあるものの、注目してゆきたいテーマです。

6月17日の「南の風~奄美編」今月(6月)のテーマは、「悼む・追悼」です。

今月(6月)のテーマは、「悼む・追悼」です。


このテーマに入る前に〈うた〉はどうして生まれたかを語りかけます。
人類はどうして〈うた〉を歌ったり、朗唱するようになったのか。
これにはさまざまな説があります。男性が女性を、女性が男性を愛する・恋するがために生み出したのが〈うた〉であったり、自然現象を起こしたり制御したりする神・神々といった形而上学的存在を讃える呪詞として呪術者が発語したコトバに節が付けられたとも考えられ、あるいは古代社会では今よりもっと身近であった死に向き合った時に今まで生者であった身内の者に対する愛惜の感情が自然に〈うた〉という形となった……といったものがあります(他の説もある)。
こうした〈うた〉の発生はポリフォニックに同時発生して相互に影響しあったのではないかと唱える研究者もいて、われわれに大きな刺激を与えてくれます。

こうした〈うた〉の発生を考える時、今回のテーマでもある「悼む・追悼」は、大きな要因だと言い得るでしょう。
そこで取り上げたニュースに、小説家・島尾敏雄についての情報があります。
この作家は神戸と奄美に深くかかわったひとで、今年がちょうど生誕100年を迎えることもあって、各地で記念イベントが行われます。一番さかんに展開するのは、20年間を生活した奄美大島でしょう。
番組ではまずその奄美におけるイベントを紹介したのです。
1.島尾敏雄の夫人である島尾ミホ原作の映画「海辺の生と死」の上映〈7月7日。神戸でも元町映画館で近日上映される〉
2.7月8日に、島尾敏雄に関するシンポジウムを開催。沖縄から詩人・川満信一氏らを迎えるなど)。また、10月21日(土)には、神戸文学館において、私・大橋愛由等が企画する〈神戸と奄美を越境する作家・島尾敏雄のトークセッション〉を開催します。

そして「悼む・追悼」として取り上げたのは、来年のNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」で再び脚光を浴びる事になった西郷隆盛についてです。
西郷は二度奄美に遠島(島流し)されていて、奄美とも深く関係しています。そこで西郷と関係のある奄美の故地(奄美大島、徳之島、沖永良部島)で、顕彰する動きがすでに盛んになっています。西郷については、維新の偉人が奄美にかかわっていたことに感動したり、「敬天愛人」といった西郷の座右の銘は奄美時代に着想されたものだとか、奄美の人びとに対して横柄な態度をきわめる薩摩の役人を叱りとばしたとか、西郷礼賛の素材は多くあります。
しかし西郷は果たして奄美に対してなにをしたのか客観的に考えるべきと主張するひともいます。それは西郷のシマンチュに対する態度とか(遠島された初期に書き記された手紙には、薩摩の人が当時共有していたであろう奄美の人に対する差別意識が見られる)、明治維新となって、自由販売となったはずの奄美の特産品である砂糖に対して、藩政期とおなじ砂糖収奪のありかた(第二次砂糖総買い入れ制 )を続けようとしたりとか、こちらの素材(反西郷)も少なからずあります。これから奄美内外で、西郷評価が議論されたり、話題になることでしょう。

もうひとつ「悼む・追悼」のテーマで、FMわぃわぃのリスナーのみなさんに聴いていただきたい音源を紹介しました。それはつい先日(5月26日)に亡くなった詩人・富哲世氏(1954-2017)による詩の朗読です。13分37秒にわたる長編詩を一気かつ情熱的に吟じたものです。朗読した作品は、スペインの国民的作家といわれるフェデリコ・ガルシア・ロルカ(1989-1936)の「イグナシオ・サンチェス・メヒーアスヘの追悼歌」。ロルカが敬愛していた名うての闘牛士が闘牛の最中にまさかの事故で死にいたることに対しての追悼作品です。この朗読の紹介は、奄美と直接関係がないのですが、「南の風」のコンテンツは奄美に関する情報と同時に神戸の情報を、奄美を含めたすべてのリスナーのみなさんに伝える番組だと考えていますので、FMわぃわぃのある神戸に「悼む・追悼」を込めた詩の朗読をたくみにする詩人がいたことを、リスナーのみなさんに知ってもらおうと放送したのです。やはり「悼む・追悼」の〈うた〉はひとの心のなかにぐっと迫るタマシイの力がありますね。(ちなみに、この富哲世氏の朗読は、2001年の第4回ロルカ詩祭で朗読されたもの。このロルカ詩祭とは、ロルカ生誕100年の時〈1998年〉から、神戸・三宮のスペイン料理カルメンで開催されている文学イベントです。今年〈2017年〉はちょうど20回目にあたり、カルメンで8月19日〈土〉午後5時から開催されます。第一部はロルカ詩の朗読、第二部はロルカ的世界に身を委ねた詩人たちの自作詩の朗読です。)


(写真は、〈「ロルカ詩祭」で朗読する詩人・富哲世氏〉)こうした「悼む・追悼」に関するテーマに番組の最後に、ひとつの違う角度からの情報を挿入します。それは、奄美群島の「松枯れ被害」についてです。奄美の松はリュウキュウマツ。その松が「松枯れ病」の被害にあって、立ち枯れの木がいたいたしく奄美の山々に点在するまです。島の俳人は〈そそけ立つ枯れ松の骨山眠る 恵ひろと〉と詠みます。しかしこうした松の立ち枯れ=死に対して、違う見解があります。立ち枯れが目立つ山の稜線にある松は、もともと松という樹木の特性として、本来植える場所ではなかったという説です。ではどうして山の稜線に植えるようになったかは、鳥たちが種を運んできて、その場所で生命力が強い松が育ったというのです。しかし松が育つことで、その下地に陽光が差し込まないことになり、本来そこにあるべき樹相が育たないといいます。しかし松が枯れることで、また豊かな奄美の亜熱帯の杜が広がってゆくから、松枯れというのは、新たな樹木の再生を促すという効果を生むのだとの解説を読んだのです。ここで私が言いたいのは、枯れてしまった松を亡くなった人にたとえることのではなく、松の後にあらたなイノチが生まれてくること。つまり枯れは枯れとして終わるのではなく、次の再生というステージが準備されていること。枯れは次の物語(記憶)を生み出すのだということ。つまり「悼む・追悼」とは、悼む行為をするひとたちにとっては自分たちの生の確認儀式なのかもしれない、そしてつぎなる再生へのオマージュかもしれないのでは、とリスナーに語りかけて番組を終了したのです。

南の風 奄美編~追悼 築地俊造さん~


5月20日土曜日17時からの1時間番組「南の風~奄美編」は、2017年4月14日に亡くなられた築地俊造さんの追悼番組その1でした。
そして6月17日の17時からの1時間番組「南の風~奄美編」は引き続き「追悼」についての様々をお伝えします。(本土と奄美諸島の生死に関する文化の違いが色濃く出るところでもあります)



番組内での音源は2017年8月5日に今は無くなりましたが、一番街商店街の南端にあった「琉球ワールド:2階で開催された月1回の奄美のライブでの築地俊造さんの生音源です。
当時大橋愛由等さんがコーディナイト、FMわぃわぃがステージの音響を担当しておりました。

◆ここからの文章は大橋愛由等さんの書き下ろしです。
5月の「南の風」の番組は、4月14日に逝去したウタシャの築地俊造さん(1934-2017)の特集を組みました。享年82歳。まちがいなく奄美を代表するウタシャ(唄者)のひとりでした。
まず築地俊造さんのひととなりを紹介しましょう。それは、〈奄美のシマウタの魅力を全国的に発信したウタシャ〉なのです。

築地さんの名声が一躍全国的になったのは、「まんこい節」を歌って「第2回日本民謡大賞全国大会」(1979年)で優勝したことです。審査委員全員の満場一致で決まったと聴きます。奄美のシマウタの素晴らしさが、全国大会のレベルで証明された歴史的瞬間でした。(以後、奄美から全国の民謡大会にチャレンジして優勝したウタシャが輩出しています。奄美の芸能の裾野の広さ、人材の潤沢さが、築地さん以降も、証明されています)

築地さの魅力はウタシャとしての卓越さばかりではなく、ウタを通じて、奄美の心を聴く人の心に訴えつづけたこともあげておきましょう。

番組は、2007年8月5日、神戸市長田区にかつてあった「琉球ワールド」のステージで、奄美から招聘した築地俊造さんのライブの記録を紹介しています(JR神戸線・新長田駅の南に「琉球ワールド」という大きな沖縄物産店がありました。店内に舞台が併設されていて、月に一回わたしが奄美シマウタのウタシャを呼んで歌っていただくという企画をたてていたのです)。

ライブの第一部を放送しました。舞台は奄美のシマウタは、歌う演者(最近はその演者が三線を弾くことが多くなっている)と「ハヤシ」を担当する演者が〈対〉になって、シマウタの世界を作っていきます。しかし舞台の上には、築地さんひとり。
「ハヤシ」を担当するひとは、いません。そこで築地さん、舞台の上から語りかけます。「ハヤシをするひと、舞台の上にあがってきてください。シマウタは遠慮しちゃだめですよ」。
すると一曲ごとに名乗りあげるウタシャが登場するのです(東京からこの日の舞台のためにわざわざ神戸に来たひともいます)。三線を弾きながら築地さんはハヤシの演者に語りかけます。
「出身は?」。するとハヤシ方は出身地を告げます。奄美は文化的同一性が高い地域なので、初対面のウタシャ同士でも打ち合わせなしに歌い合うことができます(これは同じ民謡ジャンルであるスペインのフラメンコも同じ)。
でもシマ(集落)によってウタ(歌詞や“節まげ”といわれる節回しなど)が違うので、その差異を敏感にウタに反映させるのです。

築地さんの魅力が満載した番組となっています。

(文責・「南の風」担当 大橋愛由等)

4月の「南の風~奄美編」今回は沖縄唄者の生演奏♪

4月17日月曜日から金曜日まで5時~6時の「南の風~奄美編」
いつものように大橋愛由等さんが担当です。


今回は4月29日土曜日の長田神社での「花水木まつり」に出演の沖縄民俗音楽グループ「H2Y」の山口耕平さんにご出演いただきました。



最初は今は初夏のよそおいの奄美について、また奄美でのサトウキビや稲作について、沖縄本島との微妙な違いについて二人の話は続きます。

山口さんの持参くださった三線。蛇の皮が美しい!海流に連なって分あkの伝承のお話。それは沖縄本島はじめ、すべての島々でのそばの出汁に昆布が使われること。北海道から富山⇔山口⇔瀬戸内海を巡って大阪へ、そして沖縄にも運ばれたこと。それは中国貿易の流れがあったからこそであり、日本は古い古い古の時代から、朝鮮半島・台湾・中国と深い繋がりがあったことに想いは至るのでした。


さてこの日の山口さん一曲の生演奏は「島酒の唄」1番から3番までそれぞれの島の言葉で歌われました。

今月の「南の風~奄美編」は〈2017年奄美ふゆ旅〉の話のつづきです。

「南の風~奄美編」3月18日土曜日5時~6時
2017年3月の放送今月の番組特集は〈2017年奄美ふゆ旅〉の話のつづきです。


毎年冬に旅している奄美群島(鹿児島の南、沖縄の北)。
いつも4日間の旅程ですが、一日ごとに違う島をめぐるというあわただしさ。
前回まず最初に訪れた沖永良部島のことをしゃべりました(22年間奄美に通っていますがはじめて実見する民俗祭祀「墓正月」についてを中心に語ったのです)。
今回は徳之島のことを語ります。
徳之島といえば、泉重千代さんや本郷かまとさんといった世界最高齢の人たちを輩出した長寿の島。
かつ、2008~12年の市区町村別の合計特殊出生率で、徳之島の三町(徳之島町、天城町、伊仙町)が全国ランキングで10位の中に入るという子宝に恵まれた島なのです(伊仙町が全国第一位。合計特殊出生率は2.81)。

沖永良部島から徳之島へは、船で移動します。
隣り合った島なのでたった二時間の旅なのですが、いつもこの移動を心から楽しみにしています。
もともと1969年にはじめて沖縄へ旅行した時も神戸・中突堤から船出した経験があり、南に向かう旅は船で移動するものだという第一印象が根づいています。
数年前も飛行機が突然点検することになって欠航となり、鹿児島から船に乗って奄美群島に向かい、船内で知り合った未知の人と酒盛りをしていたこともあります。船の旅は出会いの機会でもあるのです。
後日談ですが、今回わたしが船に乗り込んでいたことを何人かの知人に見られていて、船はいわば奄美群島村の乗り合いバスのような人と人の距離の短さがあります。
さて、徳之島に着くと、写真のように句会を始めます。

わたしは詩と俳句を書いています。
奄美と俳句についてはまたの機会で詳しく述べますが、俳句は島の人たちが、奄美の自然の中で暮らし、季節の移ろいを感受して、それを文芸に表現するのですから、シマンチュの生の息吹がよく表現されていて、わたしには刺激的なのです。句の合評だけではなく、句の背景である島の習俗や歴史についても話し合う機会ともなり、聴いているだけでも楽しいひとときです。
旅の三日目。徳之島から奄美大島に今度は飛行機で移動します。ところが、わたしを島内で先導してくれた人が「島時間」(=ゆったりとこだわりのない時間感覚で行動すること)で動いていたために、飛行機に遅刻。さいわい一日二便あるので、夕方の出発まで、もういちど島内をめぐろうということになり、それでは徳之島町母間(ぼま)集落にあるカトリック教会に行きましょう、ということになったのです。書き始めると、長くなるので番組を聴いてもらいたいのですが、奄美群島のキリスト教信者の人口比は4%。全国平均が1%ですから、4倍の数値となります。しかも奄美大島、徳之島は、プロテスタントよりカトリックの信者が多いという特徴があります。ついでにいうと、わたしが通った西宮市の私立小学校は、コンベンツァル・フランシスコ修道会が運営していまして、たまたま奄美大島を宣教している修道会でもあったので、こうしたカトリック縁でも奄美に親しみを感じていたのです。
さてこのように飛行機に遅刻しても、くじけずに旅を続けます。このくじけないありよう(奄美大島では「ストゴレ(スットゴレ)精神」といいます)こそが、シマンチュの本質の心意気のひとつでもあるのです。

今月の南の風~奄美編 大橋愛由等さんの22年間毎年の奄美諸島訪問の記

「南の風」2017年2月の放送
2月18日土曜日5時からの「南の風~奄美編」は大橋愛由等(フランス革命の旗印!愛と自由と平等から名づけられたそうです)さんの担当。22年間毎年通っていらっしゃる奄美諸島訪問の報告です。
2月は、阪神淡路大震災の翌年(1996年)から毎年つづけている〈奄美ふゆ旅〉の様子を紹介しています。
この旅は、ちょうど1.17の前後に設定しているのです。すなわち、私・大橋愛由等にとって、再生=蘇りの意味を持ちます(毎年1.17がくるたびに震災の追体験をして仮死のシンパシーに陥り、奄美に旅に出ることで、蘇生するイニシエーションを繰り返す、ということ)。

22回目の〈奄美ふゆ旅〉は、ここ数年定番のコースになっている沖永良部島、徳之島、奄美大島(いずれも奄美群島)の三島を訪れました(1月16日~19日)。2月の放送では、沖永良部島のことを中心に語っています。
とくに強調したかったのは、沖永良部島の「墓正月」の民俗行事を実見したことてです。これは、毎年きまって一月一六日に行われる祭祀で、わたしが見学したのは、沖永良部島のいくつかある集落のなかでも、「墓正月」の習俗が濃厚に残っている瀬利覚(じっきょ)集落にある朝戸家の墓所でした。

本土の墓と違うのは、墓所のスペースが広いこと、そして低い壁に囲まれて独立性が高いことです。墓石の形状そのものは本土と同じで、沖縄の亀甲墓は奄美には入ってきていません。墓所のスペースが広いのは、一族が寄り集まって飲食をするためであり、この日のために本土に働きに出ている家族が還ってくることもあるのです。

「墓正月」というのは、正月に先祖を家に迎えて、正月を共にすごし、そして一月一六日に家から墓に帰すための祭祀であると位置づけられています。瀬利覚を含めて、この「墓正月」の際に、特別の呪謡や唱え言葉はありません。きわめて私的な領域の家族祭祀です。

わたしが訪れた朝戸家の墓所にも夕刻になると、親族が集まってきて、にぎやかな宴会が始まろうとしていました。ちょうどその時、鹿児島県文化財課の調査チームも「墓正月」の調査に入っていて、旧知の小川学夫氏(奄美歌謡研究者)と出会い、奄美の文化について意見を交わしたのです。

この「墓正月」に関してもうひとつの視点を紹介しておきましょう。それは民俗・歴史研究者の先田光演氏(沖永良部島在住)の識見です。それによると「墓正月」はあくまでも個人祭祀であるので、集落(シマ)や島全体に敷衍することはない。沖永良部島にはかつて豊潤に集落単位の共同祭祀があったのですが、他の奄美群島の島とくらべて極端に減ってしまったのです(同じ北山文化圏である与論島には〈島建て〉とかかわるシニグ祭が継承されている)。そこで去年に行われた「世之主六百年祭」のように島全体を包括した祭祀をあらたに創出してもいいのではないかと語っています。(世之主とは沖永良部島を統治していた北山王国系の支配者で沖縄本島を統一した中山勢力が軍船をひきいて沖永良部島にやってきた一四一六年に自害。その年からちょうど六百年にあたる去年、いくつかの記念行事が行われました。)
使われる音源は、FMYYレーベル、ジャバラレーベル、そして大橋さん自ら収録された楽曲が流れます。