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KOBE bridging JAPAN & AFRICA through ICT vol.23 in ENGLISH

On the first and second Saturdays (1st and 8th June) from 4pm to 4:30 in Japanese and from 4:30 to 5pm in English, KIC students from Africa share their stories about what has surprised them once in Kobe, Japan, what they have found out through their life there, and other things they found intriguing and mind-blowing in Kobe or in Japan in general.

This time also, not a student from Africa, but a Japanese guest.
He is Mr. Takada from JICA who has been working in graduate school from this March.
Mr. Takada has been stationed in Africa and Asia for many years as a JICA staff member, and until this February he has been stationed in the field for three years as director of Rwanda’s JICA office.

First of all, it starts with a memory with Kobe, and it has been told that he has been appointed to Turkey which is deeply related to Kobe after the Kobe earthquake in 1995.
He also talked about what he saw as a local JICA director about “Grassroots project” in Rwanda.

They are with our regular personalities, Ms. Funayama (Left photo: Having worked in multiple African countries) and Prof. Nsenda (Architect originally from Democratic Republic of Congo and graduated from Osaka university graduate school).

Japan (Official guide)
https://www.jnto.go.jp/eng/

Japan International Cooperation Agency(JICA)
https://www.jica.go.jp

Kobe city in Japan
http://plus.feel-kobe.jp/

Graduate School of Information Technology Kobe Institute of Computing
https://www.kic.ac.jp/en/

KOBE bridging JAPAN & AFRICA through ICT 第23回 日本語

6月1日の第1週土曜日と8日の第2土曜日の4時~4時半日本語で、4時半から5時は英語で、神戸情報大学院大学のアフリカからの学生たちが、日本・神戸に住んでみて気づいたことやアフリカの自分の国のことを紹介しています。
私たちにが普段気づかないことに気づかせてもらえます。 今回も、前回に続いてアフリカからの留学生ではなく、この3月から大学院に勤務されているJICA出身の高田氏です。

高田氏は、長年JICAの職員としてアフリカやアジアなどで現地駐在をされ、この2月まではルワンダのJICA事務所の所長として、現地に3年駐在されていました。

先ずは、神戸との思い出から始まり、震災以降 神戸と係わりの深いトルコにも赴任されていたお話をされています。
そして、ルワンダでの草の根事業についても、現地のJICA所長として見てこられたことについてもお話されています。


パーソナリティは、神戸情報大学院大学のセンダ先生(左側:コンゴ出身 大阪大学大学院を卒業、建築家)

同じくの神戸大学院大学の船山・プロジェクトマネージャー(右側:アフリカなどの国々でNGO活動等に参加)とです。

ルワンダ共和国 (在日本ルワンダ共和国 大使館)
http://www.japan.embassy.gov.rw/index.php?id=702&L=12

独立行政法人 国際協力機構(JICA)
https://www.jica.go.jp

神戸情報大学院大学

ICTで課題解決できる高度な人材を育成 – 神戸情報大学院大学

神戸市とルワンダ・キガリ市の経済・交流連携協定 締結
http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2016/07/20160714041901.html

2019年5月25日「第145回ゆうかりに乾杯」

2019年5月25日 FMYYの番組「第145回ゆうかりに乾杯」のゲストは、一般社団法人 ひととまちサポート代表理事 越智和子さんでした。

この番組はFMYYのyoutubeLiveで配信されました。

越智さんは、出版・広告業界で長年編集者として大活躍され、その間に多くの方々との出会いと繋がりが生まれました。50歳をすぎて大病を患ったこともあり、自分の人生を考え直し、自分のキャリアを生かしながら社会貢献できるものとして、2009年11月に「一般社団法人ひととまちサポート」を設立されました。
2012年5月には障害を持った方々の就労継続支援B型事業所「和みの海(かい)」を開所し、2015年1月には「なごみの海2(セカンド)」を開所されました。

越智さんは福祉に関する専門家ではありませんでしたが、前職で得た経験と人脈、そして持ち前の行動力から、障害者の就労を支援する事業を始められました。
短期間に2か所の事業所をオープンできたのは、越智さんが編集者として厳しい仕事を乗り越えてこられた多くの経験が十分反映された結果であることが、お話から十分伺えました。

和みの海の特徴を示す商品として、また他の福祉団体では取り組んでいない、手先の器用さと根気の良さを必要とする折り紙アクセサリーの製作と販売を始め、千円前後という手ごろな値段でもあり、大変好評を得ているそうです。

事業所運営で一番大事なことは、通所者が笑顔で来て笑顔で帰ってもらえるような楽しい雰囲気づくりであると言われたことが、強く印象に残りました。

放送音声及び文書化した放送概要は、「ゆうかりに乾杯!」の下記URLで、近日中にご覧いただけます。
http://yukari-ni-kanpai.sakura.ne.jp/
ゆうかり放送委員会 佃 由晃

らの会わぃわぃbyネットワークながた 提供はプロジェクトM。

今回のらの会の番組は、くららべーかりーの事務所での収録でお送りしました。

というのは元町での障がい者も健常者も交じり合った音楽イベント「もとまちハートミュージアム2019」にネットワーク長田の仲間たちが参加するからです。みなさっも是非一度このイベントにご参加ください!!ハートがどきどき!フルフルすること請け合いです。わっくんのイラストがいい感じです。

2019年5月25日「ワンコイン番組」ご要望に応えてクロマキー配信!

本日のワンコイン番組はクロマキーに挑戦!!やや調整不足で、ビリビリしている画面ではありますがご容赦くださいませ。

参加者は中央に鎮座されているのは、宮本Crew、そして後ろの3人は、左からアーティスト西村さん、そして立命館大学の松本さん、そして金千秋。今回のレポートは松本さんから届くまで今しばらくお待ちください。写真撮影とミキサー補助は平野Crewです。イラストと伊丹空港(大阪空港)の写真の作品はクリエーター西村さんの作品の一部です。(詳しくはYoutubeをご覧ください)

奄美専門チャンネル「南の風」2019年5月の放送

★奄美専門チャンネル「南の風」2019年5月の放送

さようなら「平成」〈平成時代の奄美30年間を振り返る VOL.03〉

奄美専門チャンネル「南の風」では、「世(ゆ)替わり」にあわせて、平成時代の奄美はいったいどんな30年間だったのかを、数回にわたって特集したいと思います。今回は3回目です。平成30年間の奄美における社会・環境をめぐる変化について語ります。写真は大橋撮影。徳之島伊仙町犬田布集落にある小規模「製糖工場」。積み上がったキビを手際よく煮詰めていく工程が見学できる(最近の奄美のキビ農家は大型製糖工場に収穫したキビを搬入するだけの原料提供者となっている。かつては各農家で刈り取ったキビを絞り煮詰めて黒糖にして木樽に詰めるまでの作業を行っていた)

〈語り/01〉今回の最初の語りは、〈争いから離れて〉をテーマにしましょう。平成時代がまさに終わろうとしている4月19日。保岡興治元衆議院議員(鹿児島一区)が死去しました。この保岡興治氏と徳田虎雄氏は、奄美選挙区で激しい選挙戦を展開しその様相は「安徳戦争」とも呼ばれていたのです。
奄美の衆議院議員選挙は1953年に日本へ復帰して特例として設けられた当時全国で唯一の一人区でした(奄美以外は複数の議員が当選していた)。この衆議院議員選挙で過去何度か、激しい選挙戦を繰り返してきました。
1983年と1986年の衆議院選挙では、現職の保岡氏に対して、徳洲会の徳田虎雄氏が挑戦。いずれも僅差で現職が勝利します。しかし徳田氏はあきらめません。つづく1990年になって今度は徳田氏が三度目の挑戦で当選したのです。この「安徳戦争」は1993年の全国的な選挙区の区割り変更で、二人が別の選挙区(鹿児島一区=保岡氏、同二区=徳田氏)に分かれて立候補したのでこの二人による熾烈な選挙戦はなくなりました。この「戦争」と言われた時期は、二人の衆議院選挙だけに終わらず奄美群島の首長選挙をはじめ市・町・村議会議員選挙も巻き込み、シマを二分したのです。その対立は親子、夫婦、兄弟、親戚間でも両派に分かれて、争うなど激しい人間模様が展開されたのです。今ではかつての対立がウソのように静かな選挙戦が行われています。そしてかつての「戦争」の当事者の一人である保岡氏が亡くなったことで、ひとつの時代が終焉しことを実感するのです。
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