「YY音源ライブラリ」カテゴリーアーカイブ

神戸市立須磨翔風高校の福島と結ぶ番組、2017年8月から再開!

2017年8月19日土曜日の4時から4時半は、年に3回の神戸市立須磨翔風高等学校の番組です。

2016年4月からインターネットメディアにFMわぃわぃが変わる前まで、翔風高等学校は、毎月第3土曜日の担当でしたが、2016年は少しお休みして、今後年に3回だけの原町高等学校との交流番組のみになりました。
2011年の東日本大震災後、臨時災害FM南相馬のひばりFMの支援にFMわぃわぃが加わったことで福島県立原町高等学校との高校生と神戸市立須磨翔風高等学校の高校生同士の電話中継番組が1月と3月と8月に開始されました。
今までは、1月は神戸の高校生が「阪神・淡路大震災」とその後について考えること、3月は「東日本大震災」について福島の高校生がその体験とその後について考えること、8月は、「戦争と平和」について、天然自然の災害ではなく、人災で1995年や2011年の様な悲しみが起こることについて、それぞれが話していました。
今回は久しぶりに交流番組ということで、今までの振り返りの意味も込めた番組形態となっています。

震災の翌年から始まった,須磨翔風高校と福島県立原町高等学校の交流番組も今回で18回目となります.番組前半では今の高校生とのお話の中で,当時の心境や現在の心境について語っていただきました.後半では過去の交流番組の中から6名の震災体験をまとめて放送します。

第5回 街ブラ〜人と街とくらしを探る

今回は、長田区出身の輝く人を紹介します。
長田区の名倉みふね幼稚園で、ストリートダンススクールを開講されている、金子 優さんです。

金子さんに会ったのは、7/17(月) 長田神社とその周辺地域で行われた「夏越ゆかた祭」のイベントです。可愛い幼稚園児のダンスに始まり、小・中・高校生や一般の生徒さんたちが、カッコイイダンスを披露してくれました。

その生徒さんたちを見守る優さんの優しいまなざし!
ラストは金子 優さんのワンマンライブが繰り広げられ、まるで大輪の花が咲いたようでした!!

そんな優さんが、ダンスを始めたきっかけや、長田でダンススクールを開講する思い、これからやってみたいことなど、丁寧にインタビューに答えて下さいました。

自分のやりたい事が見つからない方々の為に、アドバイスもして下さいましたので、お聴き逃しなく!
たくさんの方々に元気を届けるダンサー、金子 優さんの魅力をお伝えできたと思います。

これからも、街ブラは輝くひと・街を応援します。
次回もどうぞお楽しみに~!

いまどきのメディアリテラシー13回

■第13回目8月12日土曜日の放送「ジェンダーと メディア」この番組「いまどきのメディアリテラシー」は、関西学院大学総合政策学部山中速人研究室の番外編ゼミとして放送しています。


■21世紀に入り、社会全体がグローバルの波に飲み込まれて、男女のあり様も、家庭の形態もそして服装についても多様な時代になったと言えます。そんな中でメディアの世界の中で一番社会の変化の第一歩に敏感なCM(コマーシャル)の世界からそれを読み解いて行きます。
しかしここで重要なポイントは、CMはあくまでも「商品を売る!」ということが最大の目的であり、メディアとしてなんらかの波動を社会に起こすことなど意図してはいないということです。
それをいろんなCMを題材に読み解いて行き、「性の役割分業バイヤス」(文化培養理論)つまり生物的な性の役割ではなく、社会における男女の役割分業について、メディアはいかに関与するのか。。。ということを読み解きます。

「長田今昔ものがたり」第57話

第57話 マッチ工業のおかげです 2017年8月12日放送

マッチは工程も多く、地道に、こつこつの産業です。低コストですから、当初は女性や年少者の労働で、神戸では1877年、監獄でも行われました。1880年に滝川弁三さんが、いまの兵庫区で始められ「日本のマッチ王」と呼ばれるくらい活躍されます。コスト競争のせいで、1920年、西神戸のマッチは衰退します。でも波及効果は多く、ラベルの印刷技術やマッチでの広告技法が定着し、インドや中国、台湾、南米、北米向けに、輸出業も確立できたと考えます。中村マッチは、まだ浜添通6丁目で健在です。北野町の北野工房2階で、昔なつかしいラベルの「防災マッチ」が販売されています。


57話 防災マッチ(ラベルは東洋マッチ)

8月12日のワンコイン~テーマは戦争と平和

8月12日土曜日のワンコイン番組。

間もなく15日、お盆であり、日本が戦争に敗けた(この言い方を嫌う人もいらっしゃいますねえ)日であり、同じく「もう二度と戦争はしない!戦争のない世界の構築に日本は心血を注ぐ!」と世界に誓う言葉を発信することになったその最初の出発の日でもあります。

(写真は左から蔀よりこさん、ミキサーは上澤寛文さん。)

本日の参加者それぞれの戦争の言葉に何を思うのか?最初にお聞きしました。蔀さんは戦争中「障がい者は戦争に参加できない。徴兵に行けない」ということで非国民扱いをされた。戦争に参加するしない。。ということではなく、「排除」されるということを感じるとのこと。橋本さんは8月9日がお誕生日、お母さんが6日とけっして忘れることのない誕生日という事で毎年この夏を迎えるとのこと。また平櫛さんは昭和25年生まれのお母さんが、産まれたのはまさに15日の日におじいさんが日本に帰ってくることができたからとのこと、戦争で命のリレーが自分まで繋がっていると。そして一番若い上澤くんも出身が小倉で、実は9日の長崎の爆弾投下は最初は小倉が目的投下地。しかしながら小倉のお天気が悪くて、長崎に変更されたということは、小倉の小学生でも教えられているとのこと。
戦争は遠い地域のこと、自分には関係ないことではなく、「命」を繋ぐために一人一人がしっかりと声を上げていかなくてはならないとたった4人のお話からも分かったことでした!!

(右から橋本俊明さん、平櫛武さん)

平和であることは「人を殺す」ことなど考えなくてもよい世界。その世界だからこそ、のびたんこと橋本さんや平櫛さんの提案されているる、自然と親しむ、蝶と心楽しく遊ぶことができるのだと実感したお話満載の本日でした。

「くいしんぼうのナミオくん」


子どもたちが昆虫や草花に親しむきっかけをつくろうと、「シニア種まき隊」が企画主体となり、2団体と連携して、アゲハの生態をアニメに集約した「くいしんぼうのナミオくん」が完成しました。内容は、アゲハの親子が主人公の心温まる物語で、卵、幼虫、さなぎから成虫へと変化する過程をわかりやすく解説したものです。

南の風~沖縄編 7月放送

(この写真は1995年の震災直後の長田のまち)

★奄美がたり(1)

映画「寅さん」の最後の作品に登場した奄美・加計呂麻島諸屯集落にある民家に宿泊できるようになりました。この映画は、1995年の制作。そうです、震災直後の神戸・長田にもロケ隊がやってきたあの作品です。映画の一部となったことで神戸・長田にも縁深い作品ですね。宿泊について詳しくは以下のサイトをご覧になってください。
http://colocal.jp/topics/lifestyle/renovation/20170519_97125.html
宿泊予約などについての問い合わは。
電話:0997-63-2117(奄美設計集団内)※平日9:00~18:00
メール:amami@den-paku.com

★奄美がたり(2)

今年の「奄美民謡大賞」の「大賞」に輝いたのは、平田まりなさん。カサン唄を代表するウタシャ・松山美枝子さんのお孫さんです。そこで番組では、わたしが奄美で録音してきた秘蔵の松山美枝子さんと福山幸司さんとの絶妙のコンビによるシマウタを紹介しました。この「奄美民謡大賞」は奄美における影響力のある民謡大会のひとつで、この大会で「大賞」に輝くと、奄美でウタシャとして広く認められ、かつ受賞したウタシャのひとも、「大賞」の栄誉を背負い、シマウタを歌い続けることで、奄美の歌謡文化を広め深化させてゆく責務を追うのです。ひとつの民謡大会が、その該当する地域に大きな文化的影響力を与えるという奄美ならではの事象なのです。(註/ただ、この民謡大会は奄美群島のなかでも、沖永良部島、与論島はシマウタの様相が異なるので、対象になっていません。沖永良部島は最近独自の民謡コンクールを開催しています)
平成23年度までの「奄美民謡大賞」の「大賞」受賞者は以下のサイトに掲載しています。
http://www.synapse.ne.jp/hatashin/simauta/amamiminyoutaisyou/minyoutaishou.html

★奄美がたり(3)

奄美で発行されている日刊紙のひとつ南海日日新聞に掲載された奄美の子どもたちによる環境標語(おおよそは五七五で作られている)をいくつか紹介しました。大半は標語らしいまとまったものですが、なかには枠に入り切らない発想の作品もあるのです。子どもたちの感性って自在ですね。奄美は自然が豊かで、この群島しかない貴重な動植物も多く、こどもたちもその希少さひとつ作品を紹介しましょう。
〈かわもうみもたいせつにしてむしもたいせつにしよう〉
川、海を大切にするという表現は常套なのですが、最後に虫を取り上げているところに注目しました。本土の民俗で「虫送り」という行事があります。この民俗行事が対象とする「虫」は農作物に被害を与える害虫なのですが、この標語の「虫」は「虫浄土」をイメージします。つまり、虫もまた川、海と同位相で、敬愛すべき対象とみなしている心もようが見えてきます。きっとこの標語をつくったのは心優しい子どもなのでしょうね。

★奄美がたり(4)

「エネルギーの地産地消」を考える、を語りました。関電、九電の管内では現在原発が稼働していますが、奄美群島の電気は原発による発電とはいっさい関係がありません(かつてすべての原発が稼働している時も関係なかった)。群島内は、ディーゼル発電によって需給をまかなっているのですが、最近群島内で自然再生エネルギー(主に太陽光発電)による発電量が多くなり、島嶼内における「エネルギーの地産地消」化が進んでいます(わたしは全国各地でこの「エネルギーの地産地消」地域が広がっていけばいいと思っているのです)。しかし最近では自然再生エネルギーの発電量が増えて、その発電量をおさえてほしいと九電から要望されています。これは主に技術的な面からの要請です。近い将来、奄美における「エネルギーの地産地消」が進捗するために(蓄電装置など)いくつかの課題はあるものの、注目してゆきたいテーマです。