毎年この時期に神戸親和女子大の地域交流センターがコーディネイトする韓国のソウル女子大学海外サービスラーニング教育プログラムの受け入れをしています。
今年は4人の日語日文学科の女子大生がやってきました。引率は安善柱(アン・ソンヂュ)教授、学生は朴賢周(パク・ソンヂュ)さん、朴廷娥(パク・ヂョンア)さん、金志垠(キム・ヂウン)さん、鄭知永(チョン・ヂウン)さんです。
今年FMYYでしていただいた作業は、2グループに分かれ、1つのグループは、カトリックたかとり教会が1995年の震災の年のクリスマスに掲げた「たかとり救援基地」のメッセージの韓国語訳。この場所はなんのための場で、なにを求めていて、誰に向かって伝えたいのか…。それを自分の国の言葉に訳してもらいました。同じくこのたかとり救援基地、そしてたかとりコミュニティセンターになってもその精神は綿々とあり、FMYYはそれを「伝える」場として発信しているその思いを韓国語に翻訳してもらいました。
別のグループは、新しく2月から始まった「즐거운 잔소리 시간 (チュルゴウン・チャンソリ・シガン)}の番組の音声を聴いて日本語の訳をつけてもらいました。
この番組は、新しく日本に来たニューカマーの韓国人にむけた番組。日本でのいわゆる「在日」無絵kの番組ではなく、1970年代や1980年代の学生たちにとって、自分の母親やもしかしておばあちゃんの知っている韓国ソウルの話が語られている番組ですので、同じ国の言葉を使っていても時代が違えば中々理解がむずかしい~~~という多様性の一環が見えた翻訳の現場となりました。
「ダイバーシティ」タグアーカイブ
マイノリティからの発信。español, Tiếng Việt, Tagalog, 한국 조선어
즐거운 잔소리 시간 チュルゴウン・チャンソリ・シガン(楽しいおしゃべりの時間)第2回
즐거운 잔소리 시간 “마포종점〟 麻浦終点”3月4日土曜日6時半から7時
오늘방송은1960대 인기가요 은방을자매의 노래 마포종점에 대한 이야기입나다.
그 시대에 가난한 사람들이 모여산 전차의 종점인마포는 많은사연들이 담겨있고, 국민애창가로도 많이 알려져있습니다.
이노래는 그당시 마포구에 살았던 작사가 정두수선생님이 발착을 알리는 땡땡땡종소리와 함께 서민의애환과 정취를 싫어 나르는 전차가 사라진다는 아쉬움에 전차와 더불어 어느두여인의 슬픈사랑이야기에 얽힌 아련한 옛기억을회상하면서만든 노랫말에 작곡가 박 춘석선생님이 곡을 붙혀 1967년 에 발표했습나다.
노래가사는 마포종점을 바라본 한강을 낀 마포의 야경이 잘 나타나 있어 마포주변의 옛 모습을 회상하는데 도움을 줄 뿐만 아니라 마포가 여러 사람에게 사랑받는 계기가 되었답니다.
서민의 발이요, 애환을 실어 나르던 전차는 ‘마포종점’의 노래가 발표되던 이듬해 세월의 기억 속으로 사라지게 되었고, 1968년 11월 30일 운행이 전면 중단된 전차는 그 당시로는 가장 중요한 대중교통 수단이었지요.
또 이노래에 나오는 /강건너 영등포에 불빛만 아련한데/가사는 당시 영등포는 각종 공장들이 밀집한 공업단지로 대한민국 경제 발전의 견인차 역할을 하던 곳 입니다. 따라서 영등포는 전국에서 몰려든 수많은 구직자들이 몰려들던 인구밀집 지역 이었습니다.
특히 마포는 빈곤층들이 모여사는 서민들의 애환이 서린 대표적인 달동네였지요.
이에따라 인적,물적 자원이 풍요로웠던 영등포에 수많은 유흥업소가 생기고, 급작스럽게 팽창한 신시가지는 범죄 발생 빈도도 당시에는 으뜸이었다고 합니다.
이노래가사에 나오는/저멀리 당이리에 발전소도 잠든밤/은 홍익대와 인접한 마포구 당인동의 서울발전소는 예전에 당인리 발전소라고불렸다고합니다.
식민지시대인 1930년에 서울 외곽이었던 당인리에서 화력발전으로 전기 생산을시작하며 서울특별시 발전의 동력 역할을 톡톡히 하였지요.
또 노래가사에서는 /여의도 비행장엔 불빛만 쓸쓸한데 /지금의 상식으로는 도저히 상상되지 않지만 여의도는 일제시대에 만들어진 국내 최초의 비행장으로 1958년 김포로 이전하기 까지 국제공항으로 사용되었습니다.
마포종점 노래가 발표될 당시에도 미공군 기지로 사용되며 군용기들의 이착륙이 활발하였습니다. 그러므로 비내리는 밤, 마포에서 건너다 보이는 여의도의 비행장 불빛이 쓸쓸하다고 표현했을 것입니다.
이와같이 노래를통해서도 그시대의 흐름을 어느정도는 알수있듯이 이노래에서는 마포외 영등포,당안리,여의도 세군데 지명이나오므로 그당시 이지역에대한 발전상 등을 엿볼 수 있는 것 같습니다.
“마포종점〟 麻浦終点
밤깊은 마포종점 갈 곳없는 밤전차
비에 젖어 너도 섰고 갈 곳없는
나도 섰다 강건너 영등포에 불빛만
아련한데 돌아오지 않는 사람
기다린들 무엇하나 첫사랑 떠나간
종점 마포는 서글퍼라
저멀리 당인리에 발전소도 잠든 밤
하나 둘씩 불을끄고 깊어가는 마포종점
여의도 비행장엔 불빛만 쓸쓸한데
돌아오지 않는 사람 생각한들
무엇하나 궂은 비 내리는 종점
チュルゴウン・チャンソリ・シガン ”麻浦終点(마포종점)”
今回の放送は 1967年度정두수作曲家により発表された「麻浦終点」歌謡曲についての話です。
この時代の麻浦(マッポ)は電車の終点であり、貧しい人々が多く住んでいるところでした。
この歌にある「麻浦終点」から漢江を眺めてみると、マッポの夜景が綺麗に見えることから、昔の姿を思い出すのに役に立つだけではなく、大勢の人達に愛されています。
庶民の足であり、庶民たちの哀歓を共にしたこの電車は「麻浦終点」という歌か発表された次の年1968年11月30日に電車の運行が全面的に廃止されました。
この歌の歌詞の中には、地名がマッポ以外にヨンドンポ、タンインリ、ヨイトなど3ヶ所出てきます。
特にその当時のヨンドンポ(영등포)は、各種工場が密集し、工業団地として経済発展に大きな役割を果たしました。従ってヨンドンポ(영등포)は、全国から大勢の人々が求職を求め영등포に集まっていたため、人口密集地域でもありました。
それにより、ヨンドンポ(영등포)は、人口密集地域であり商売も盛んで、数多くのお店や飲み屋などが集まるという急速に大きな町になっていたことから犯罪発生頻度も当時最も多くありました。
また この歌に出てくる地名タンインリ(당인리)は、現在の麻浦区タンインドンですが、当時はソウルの発電所がありました。
これがタンインリ(당인리)発電所です。1930年に初めての火力発電所として電気生産を始めソウル市発展に大きな役割を果たしました。
さらにこの歌に出てくる地名ヨイド(여의도) には、日本の植民地時代に作られたヨイド空港(여의도비행장)があり韓国最初の飛行場で国際空港としても使用されました。
このヨイド(여의도)飛行場は、1958年に現在の金浦空港として移転しました。
「麻浦終点」という歌が発表された当時にも、ヨイド(여의도)飛行場は、米国空軍基地として使用され軍用機の離着陸が活発でした。
それで歌の歌詞の中で、♪″여의도 비행장엔 불빛만 쓸쓸한데(ヨイド飛行場に、灯りだけが寂しいね~~)〟という歌詞があります。
当時、雨降る夜にマッポから眺めてみるとヨイド(여의도)飛行場の夜景はとても寂しく見えていたからかも知れません。それでこのような″여의도 비행장엔 불빛만 쓸쓸한데〟という表現を用いたと思います。
以上、歌を通してその時代の経済、地域性などをある程度知ることが出来たと思います。
この歌の「麻浦終点」歌詞には地名がマッポ以外にヨンドンポ、タンインリ、ヨイドなど3ヶ所が出てきます。今回の放送では以上のように「麻浦終点」の歌に出てくる地名の背景について様々な面から話をしました。
2017年2月から登場の韓国語番組!즐거운 잔소리 시간
2017년2월4일 첫토요일 저녁6시30분부터 7시까지
30분프로그램 「즐거운 잔소리 시간」‘이 시작됩니다!
이프로그램 담당하는 사람은 厳美鈴씨와 瀧澤秀樹씨입니다。
2017年2月4日第一土曜日夕方の6時半から7時までの30分間は「チュルゴウン チャンソリ シガン(楽しいおしゃべりの時間)」です。
この番組を担当するのは、厳美鈴さんと瀧澤秀樹さん。
在日コリアンにむけての韓国語番組とは少し違って、新しく韓国から日本に移住してきた新しい韓国人の人々むけの番組です。
楽しい韓国語のおしゃべりと似ていて違う韓国と日本について語ります。
***************ソウル女子大の日語日文学科の学生に番組を聴いてもらって日本語に訳してもらいました。パーソナリティの二人とは年代も時代も違う若い世代なのでかなり苦労したようです。
こんにちは~ ヒデキとミリョンの「チュルゴウン・チャンソリシガン」です!
今日は初放送ですが、韓国からいらっしゃった方々のためにこの放送を作りました。韓国からいらっしゃったかただと言うと1970年代、1980年代、そして、その以降にいらっしゃった方々、ニューカーマと言いますが、私もニューカーマですよ。韓国の放送を聞けば嬉しいなと思ってこう言う時間を作ればニューカーマ方達にも喜んでもらえるかなと思いこの放送を作りました。この放送はヒデキ先生と私ミリョンが担当しています。
私は2012年から2015年までヨボセヨと言うプログラムを担当しました。FMわぃわぃがラジオ放送からインターネット放送に変わりましたね。それで今回「チュルゴウンチャンソリシガン」を担当することになりました。
らの会わぃわぃ~多様な人々が生きるまち
毎月第1土曜日ワンコイン番組の終わった後の30分間は「らの会わぃわぃ」の時間です。長田の寅さんの歌にのっての本日のご出演は「くららべーかりー」そして「ネットワークながた」の石倉泰三さんです。
山吉市場の店舗が1995年の阪神・淡路大震災で被災。
しかしながら自分たちにできること「パンを焼くこと」が大きな転機になったというお話をしていただきました。焼きたてのパンの炊き出し!あったかいパンは人々の心に潤いを与えたそうです。
パンをもらった人からの「ありがとう」の一言とうれしそうな笑顔。それは通所のみなさんの心にも、時間はかかるけど確実にじんわりと伝わるものがあったようです。
パンでつなぐ人と人の輪は、らの会の「くららべーかりー」からどんどん大きくなっているようです。
らの会わぃわぃbyネットワークながた12月は誰もが社会の一員!を実感。
12月24日の「らの会わぃわぃ」ご出演は左から石倉悦子さん、石倉愛さん、そして本日は愛さんのNPO法人ウィズアス からのヘルパーとしておいでいただいた黒田夕起子さんです。
現在グループホームえほんで1週間の大半を過ごす石倉愛さん。重度の障害があっても、重複の障害があっても、人として社会で暮らす歩みを行っています。
人としてその生を受けたものは、誰もが社会の一員として生きていくことが可能な社会創り!
それがむずかしいこの世界ではありますが、気がついた一人ひとりが声を上げ、その実現に向かって、粘り強く進んでいく。その小さな歩みは小さく、波紋はほんの一滴のしずくであっても、必ず広がってゆくのだと「グン」と心に突き刺さる言葉がつづられる30分でした。
ぜひ明日からの放送にも耳を傾けてくださるようお願いします。