「交流・参加型(居場所)」タグアーカイブ

わぃわぃを場として集い発信する人たちの番組、ローカルニュース

第22回 街ブラ~人と街とくらしを探る

今回の街ブラは、神戸市北区ひよどり台にあるマナ助産院で助産師をされている、渡邊和枝さんをゲストにお迎えしました。
一般社団法人「小さないのちのドア」の理事でもいらっしゃいます。

「小さないのちのドア」は、思いがけない妊娠や、育てられないと悩んでいる女性のための相談窓口です。
24時間無料で、電話、メールやLINEでの相談、来所での相談を受けつけています。

この活動のきっかけは、熊本の赤ちゃんポストを関西にという動きと、中絶や虐待などで失われていく命を救いたいという思いから始まりました。
昨年2018年9月に始まり、今年の2月末で約500件もの問合せがあったそうです。

この活動は寄付で成り立っているため、資金集めが必要になります。
行き場のない女性たちが安心して身を寄せる場所を確保するために、マタニティホーム・マナを建設したいとお話しくださいました。

また、渡邊さんは、「いのち語り隊」として、幼稚園・小中高校・大学や、ハンディのある方にも、命の大切さを伝える活動もされています。

渡邊さんの話によれば、日本では毎年多くの中絶が行われており、10代20代の女性も半数を占めているようです。
小さな命は勿論のこと、お母さんの心と体を大切にするために、相談できる場所があることを是非知っていただきたいと思いました。

小さないのちのドア、専用電話番号
078-743-2403

これからも、街ブラは輝く人・街を応援します!

エンディングテーマ曲は「Touch the Rainbow」、演奏は Bloom Works でした。

2019年3月9日のワンコイン番組~来週16日は再放送です!

3月9日のワンコインの参加者は、蔀より子さん、宮本健一郎Crew、ミキサーは上澤寛文Crew、スイッチャーは金千秋でお送りしました。

始まりの前に、様々なマシーンのテクニカルのトラブルがあり、申し訳ありませんでした。
いやいや生放送がいろんなことが立て続けです。来週16日は再放送対応ですので、ご参加を予定されていた方は、ご容赦くださいませ。

今回は、宮本Crewによる、日台友好歴史探訪旅行記その4最終回でした。
【日台友好歴史探訪旅行記5】
1 1947年2.28事件と白色テロ
1945年8月の日本の敗戦直後の中国は、蒋介石の率いる中華民国が代表する南京政府でしたが、政治的に不安定な台湾、中国、朝鮮では、イデオロギー対立の内戦が始まりました。

これらの地域における今にも続く混乱は、ポツダム宣言受託で、日本が台湾、朝鮮、満州を放棄しましたが、その地をめぐって、我先にと実力行使に突入し、それも東西陣営の代理戦争の様相となっていったことに原因があります。
(いつになっても人間は、戦争を求める生き物なのでしょうか。)
1946年国共内戦、蒋介石の国民党と毛沢東の共産党が戦います。
1947年2月28日、台北で抗議デモに憲兵が発砲、国民党は大陸から軍隊を台湾に派兵し徹底弾圧、史上最長1987年までの戒厳令が始まり、白色テロとなりました。白色とは、政権側による、テロとはテラー、恐怖で支配する意味です。
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2019年3月2日「ワンコイン番組」3.1独立運動、そして311東日本大震災

3月になりました。3月11日は東日本大震災から8年!そして朝鮮半島にとって3月1日はとても大切な日です。

本日の参加者は、今ちゃんこと今井正さんと朴明子さん、ミキサーとスイッチャーは金千秋です。
■今ちゃんのお話は「コピーの力いろいろ」

■朴明子さんのお話は、「三・一独立運動」
日本では知られていませんが、朝鮮半島の人々にとってはとっても大切な日です。
そして日本もこの歴史を知識としてきちんと知り、そしてその思いを受け止める力を持たなければ、これからの多様性のある時代、住みやすいまちづくり、地域づくりをすることができないと思います。
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朝鮮半島が1910年日本に「韓国併合」されたことに抵抗し1919年3月1日、「朝鮮独立万歳」と叫んでデモが行われた。あらゆる層の人達が参加して数万人規模になった。
女性も大勢参加したが、柳寛順という女学生は集会を組織したとして捕まり獄死した。
彼女は韓国のジャンヌ・ダルクといわれる。
後に韓国国内で、女性であるあるがゆえに彼女への評価が低かったのではないか、という声があったため、100周年に当たる2019年の今年、評価が見直されたという。
抗議のデモは全国に広がり2カ月ほど続いたが、日本の官憲などによって数千人の死者を出し鎮圧された。その後はこれほど大規模な抵抗運動はなかったが、朝鮮人は奪われた祖国を取り戻すために、多くの犠牲を出しながらも日本の敗戦まで抵抗し続けた。
いや、解放後も差別と監視のもとで、様々な権利を取り戻すための闘争が今も続いている。
パク・ミョンジャ記

2019年2月23日「ゆうかりに乾杯!」

2019年2月23日 FMYYの番組「第142回ゆうかりに乾杯」のゲストは、兵庫高校創造科学科3期生の生徒さ3名(小出浩暉さん、今井花さん、嶋崎友璃奈さん)と大澤先生にお越しいただきました。
この番組はFMYYのyoutubeLiveで配信されました。

兵庫高校創造科学科は、3年前に文部科学省の「実社会との接点を重視した問題解決型プログラムによる実践研究指定校(SGH指定校)」に認定されたことで、普通科とは独立した学科で独自のカリキュラムににより「未来社会を創造するグローバルリーダーを育成」することを目的にしています。
放送では入学間もない1年生の生徒さんたちが、どのような勉強をし問題解決に取り組んでいるかを以下の観点でお聞きしました。
・入学直後に創造科学科の生徒40人を8班にわけ、班ごとに地域課題の中からテーマを絞り、地元企業、行政などのサポートを受け解決策を見出していくグループ研究。
・後期は自然科学における最先端の課題に神戸大学院生のサポートを受けたグループ研究。
・RRE(Reserch and Reprt in English)という英語による読解、レポート作成、プレゼンテーション、留学生とのワークショップなどを通じ英語能力を高める。
・社会で活躍している専門家から、国内外の諸問題について直接指導を受ける。
・他の高校、大学との交流を通じ問題解決能力の向上に資する。

お話を伺い、いずれの取り組みも従来の高校教育のレベルをはるかに超えた実践教育と感じ、このような環境で育った生徒さんは今後の日本(世界)を牽引する人材に成長していくと思いました。

文書化した放送概要は「ゆうかりに乾杯!」の下記URLでご覧いただけます。
http://yukari-ni-kanpai.sakura.ne.jp/
ゆうかり放送委員会 佃 由晃

2019年2月23日ワンコイン番組多様な人々の参加です!

2月23日の参加者は左から佃由晃Crew、神戸ソーシャルブリッジFMYYグループのチームリーダー西岡幸子さん、そしてFMYYの定款まで熟読された大井秀人さん、日台友好歴史探訪旅行記その4を引っ提げての宮本健一郎Crew、そして陶芸家田村遊Crew、ミキサーは平野由美子Crewでした。

Youtubeはちょっとした手違いで、最初が切れていますが、ご了承くださいませ。

■神戸ソーシャルブリッジのお二人の報告by西岡さん
神戸ソーシャルブリッジメンバーから大井さんと西岡が参加。YYからの依頼はウェブページのリニューアル案、しかし現状・強み弱み分析の結果、「まずはより多くの人たちにFMわぃわぃの活動を知ってもらうことが必要!」ということで、番組のカテゴリー化と、それをもとに理念や表彰歴などを含めた表裏1枚にまとめたパンフレットを成果物として提案。そして今日、最終版のパンフレットを私たちメンバーも手にし、感動!!これをスタートに、ウェブページの改編にきっと役立つとはず。このプロジェクトを通して、素敵な活動をされているFMわぃわぃと関われたこと、異業種の方とのつながりができたこと、そして、これからも違った形で繋がっていけることが参加した私たちにとっても大きな収穫となり、本当にありがとうございました!
最後に、ソース通の大井さんにメンバーの森下さんから長田ソースの送別プレゼントが!すると、長田ソースの歌というのがあるということで、その曲をワンコイン番組中に流してもらい、神戸ルーツのソース話に花が咲き…意外なところでもつながりを感じることができました。
*神戸ソーシャルブリッジとは神戸市主催の、NPOや地域団体と、企業社員や行政職員など社会貢献活動に関心のある人とをつなぎ、地域社会の課題解決に取り組むプロボノプロジェクトです。

■日台友好歴史探訪旅行記その4
1 芝山巌精神 六氏先生のお墓

台北の見晴らしの良い丘に、芝山公園があります。太極拳や散歩など、憩いの場になっていて、静かな場所ですが、250段の階段を上ると六氏先生のお墓があります。

六氏とは台湾統治の初期に、台湾に渡った6人の学校の先生で、台湾で最初に設立された学校「芝山巌学堂(しざんがんがくどう)」に住み込んで、教育に没頭しました。
しかし、地元の抵抗運動が激しく、標的となり殺されました。
台北は不穏な空気に包まれ、早く逃げるべきと勧められていたのですが、「寸鉄を帯びずして教育に携れば、必ず通じる」「死して余栄あり、実に死に甲斐あり」と信じ、避難しませんでした。

6人の先生はいずれも若く、一番年下は17歳「平井数馬」で、高等学校卒業後、「自分の力を試したい」として、台湾に渡りました。

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2019年2月16日ワンコイン番組 日台友好歴史探訪旅行記 その3

シリーズとなってしまいましたワンコイン番組の連続登場「宮本Crewがいく!日台友好歴史探訪旅行記」その3

日台友好歴史探訪旅行記3
■前回伝えられなかったことから、
欧米列強の侵攻に対抗するため、防衛ラインとして樺太から台湾を設定したことは、前回お話ししましたが、その後、清朝が琉球を日本の国土と認める事件が起こります。

1871年(明治4年)琉球の船が台湾に漂着し、54名が原住民に惨殺される事件が起きました。(牡丹社事件)
副島外務卿は、清に賠償を求めましたが、琉球は清にも日本にも朝貢をしていたので、清は「琉球人は日本人ではないし、台湾は野蛮人の住むところで清と関係ない」と応えました。
ならば、琉球人は日本人と考える西郷従道は、台湾に出兵しても文句はないだろうと、1874年(明治7年)台湾に出兵、イギリスの仲介により清朝は、「台湾出兵は義挙であり、日本人である琉球人が殺されたことは遺憾である」として賠償金50万両を支払いました。これで、琉球は日本となったのです。
西南戦争(明治10年)より前の出来事ですが、この時点で台湾は射程圏に入っていて、日清戦争で勝利した日本が1895年、台湾を得ました。
しかし、そんなことは露とも知らない台湾人は、抵抗します。当然ですね。
実際、当初の台湾統治に大変苦労します。現地部族の風習は、首刈りです。「話せば分かる」と、丸腰で現地に入植した日本人や漢人など、7千人が、被害に遭いました。また、マラリアなどの風土病、衛生面でも困難を極め、後藤新平が台湾長官となってからは、風土病対策、アヘン吸引習慣の暫時解消政策、上下水道の整備等を進めました。
これにより、次第に落ち着いてきた台湾に、八田與一は、1910年台湾総督府の技師となりました。
八田は、上司の浜野弥四郎が進める上下水道事業を通じて、多くのことを学びました。
浜野は、台湾水道の父と呼ばれ、東京や名古屋より先に水道を整備しました。浜野は日本に帰って、神戸市水道課長になって神戸市に水道を引きました。
昔のエリートは、本当に立派で、欧米で最先端の技術を学び、本土より先に台湾で実践しました。
彼らの一人、名前は忘れたのですが、フランスに留学して、あまりにも休まず勉強するのを心配した、大家のマダムが、「少しは休んだら?」と勧めたところ、「私が一日休むと、日本が一日遅れる」と言ったそうです。
今の日本にそんな気概のある人がいるでしょうか
そんなエリート像に加えて、八田與一は、当時、本土の日本人は1等国民、沖縄人は2等国民、台湾人は3等国民といった差別がありましたが、そのようなことにとらわれず、平等に接し、関東大震災で予算の確保が厳しくなったときに、日本人から先に辞めさせたこと。作業員が家族と共に、職務に安心して集中できるよう、社宅や、病院、学校、テニスコートを整備し、それこそ家族同様に接したことが、愛される原因としてあげられ、台湾の教科書にも掲載されています。

そして現代、八田與一像、首切り事件の真相です。八田與一像とお墓です。

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