kim のすべての投稿
KOBE bridging JAPAN & AFRICA through ICT vol.4 in ENGLISH
Octobor 2017「KOBE bridging JAPAN & AFRICA through ICT」
On the first and second Saturdays (7nd September and 14th September) from 4pm to 4:30 in Japanese and from 4:30 to 5pm in English,
KIC students from Africa share their stories about what has surprised them once in Kobe, Japan, what they have found out through their life there, and other things they found intriguing and mind-blowing in Kobe or in Japan in general.
The students also introduce their projects to solve social issues in their home countries through ICT (Information and Communication Technology) that they have been working on at KIC as part of their Master’s course.
They are with our regular personalities, Ms. Funayama (Left photo: Having worked in multiple African countries) and Prof. Nsenda (Architect originally from Democratic Republic of Congo and graduated from Osaka university graduate school).
In our September program, our guest students from KIC are Mr. RUTAYISIRE, Joachim from Rwanda and Ms. KASAPHA,
Leah Mariah from Malawi.
by ENGLISH
Japan (Official guide)
https://www.jnto.go.jp/eng/
Kobe city in Japan
http://plus.feel-kobe.jp/
Graduate School of Information Technology Kobe Institute of Computing
https://www.kic.ac.jp/en/
KOBE bridging JAPAN & AFRICA through ICT 第4回 日本語
by JAPANESE
10月7日の第1週土曜日、14日第2土曜日の4時~4時半日本語で、4時半から5時は英語で、神戸情報大学院大学のアフリカからの学生たちが、日本・神戸に住んでみて気づいたことやアフリカの自分の国のことを紹介しています。
『日本にいて一番に思うことは、平和』そんな話を始め、私たちにが普段気づかないことに気づかせてもらえます。そして、ICT(情報技術)を活用して「社会の課題を解決する仕組みつくり」の勉強をしていることのお話しも。
パーソナリティは、神戸情報大学院大学の船山・プロジェクトマネージャー(左:アフリカなどの国々でNGO活動等に参加)とセンダ先生(コンゴ出身 大阪大学大学院を卒業、建築家)。
10月のアフリカからの留学生は、右の男性がルワンダからのジョアキムさん(RUTAYISIRE, Joachim)、そして左の女性がマラウィからのレアさん(KASAPHA, Leah)です。
ルワンダ共和国 (在日本ルワンダ大使館)
http://www.japan.embassy.gov.rw/index.php?id=702&L=12
神戸市とルワンダ・キガリ市の経済・交流連携協定 締結
http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2016/07/20160714041901.html
エチオピア連邦民主共和國 (在日本エチオピア大使館)
http://www.ethiopia-emb.or.jp/
神戸情報大学院大学
Cmmunicate with FMYY crew (^^♪
Cmmunicate with Local area Korean restaurant.(^^♪
즐거운 잔소리 시간~楽しいおしゃべりの時間
毎月第一土曜日18時半~19時までの番組
新渡日の懐かしい歌とその時代背景を語る番組。
신트일 코리안 그리운 노래의 소개와 그 노래의 시대 배경의 이야기。
10月は1960年代、韓国人なら誰でも知っている人気歌謡「大田ブルース」を通してその時代の背景を語ります。
1960대,인기가요 대전부르스를통해서 그시절의추억을이야기해봅니다。
대전브루스
작사 최치수
작곡 김부해
잘 있거라 나는 간다, 이별의 말도 없이
떠나가는 새벽 열차 대전발 영시 오십분
세상은 잠이 들어 고요한 이 밤
나 만이 소리치며 울 줄이야
아아~ 붙잡아도 뿌리치는 목포행 완행열차
기적소리 슬피 우는 눈물의 플랫폼
무정하게 떠나가는 대전발 영시 오십분
영원히 변치 말자 맹세 했건만
눈물로 헤어지는 쓰라린 심정
아아~ 보슬비에 젖어가는 목포행 완행열차
大田ブル-ス
駅に着けば 別れの言葉もなく
発ち行く夜行列車大田発0時50分
街は眠りにつき 静まりかえった今宵
私一人が、声をあげ泣きはらす
ああ~引き止めようにも行ってしまう
木浦行き鈍行列車
汽笛の音が悲しく鳴く 涙のプラットホーム
無常にも発ち行く 大田発0時50分
とわに守ろうとの誓いを立てたが
涙で枯れるつらい心 ああ小雨にぬれ行く
木浦行き鈍行列車
南の風~奄美編~9月23日の放送
いつものようにこの番組の進行は大橋愛由等さん。
9月は奄美に関する五つのテーマを語ることで番組を構成されました。
★テーマ1./奄美・沖縄に向かう阪神航路が休止に。
かつて神戸・中突堤から出航していた奄美・沖縄航路。
わたしがはじめて沖縄へ向かったとき(1969年。中学生で坊主頭だった。パスボートを持って沖縄に上陸した)もこの波止場から船出しました(懐かしいなあ)。
この時は団体旅行だったのですが、当時は飛行機が高価で、ツアー旅行も沖縄へは航路で向かうのが多かったと思います。夏休みともなると南に向かう学生を中心とした若者であふれ客室に入りきらずにデッキで寝泊まりしているような時代だったのです。現在神戸からは六甲アイランドの岸壁から出航しています。
貨客船として運行していたのですが、乗降客が減少していたのに加えて、今年3月に関西空港からLCC(格安航空会社)が奄美大島に就航しはじめたのが大きく影響したのでしょう。「休止」と発表されました(沖縄・奄美に向かうのになにがなんでも船に乗って向かわざるをえなかった時代の記憶があるわたしにとっては、淋しい想いが募ります)。でも仕方ないですね。まず料金が2倍ほど違う(LCCが当然安い)。その上、船旅は乗船時間が長いので何度か船内で食事をしなければならず、その料金も必要となる。(ただ貨物船としては就航を続けるそうです。生活物資を運ぶのに必要ですから)。
★テーマ 2./今年の奄美の夏は暑く雨の多寡に悩まされました
気象の話題です。奄美群島の南部(沖永良部、与論)で水不足のために旱魃の被害が出ています(サトウキビが水不足による葉っぱが丸くなるロール現象が起きています。収穫時の収量に影響が出ます)。かつ同時に喜界島では「50年に一度の大雨」に見舞われ道路や農作物(特産のごま)などに被害が出ました。天象の変化に対してはどうしようもないですね。奄美は旱魃になることを防ぐために、国営事業として地下ダムの建設(喜界島、徳之島)などが進められています。沖永良部島には多くのため池が作られているのです。群島には大きな川がないために農業用水の確保が死活問題なのです。
★テーマ3./天皇陛下が11月に屋久島、沖永良部島、与論島を訪問
アキヒト天皇たっての希望で、屋久島、沖永良部島、与論島を11月に訪問することが決まりました。かつて天皇が奄美群島を訪れたのは、1927年(昭和2)に旗艦三笠に乗ってヒロヒト天皇、2008年(平成20)「奄美復帰50周年」の記念式典参加のために、アキヒト天皇が、それぞれ奄美大島を訪れています。(この訪問が実現すると天皇が奄美群島で訪れていないのは徳之島、加計呂麻島、喜界島、与路島、請島となります)。そして天皇が来島することによって島民間で天皇観がどのように変化していったのかを注目するひとがいます。(奄美にとって近代になるまで天皇は異族〈ヤマト民族〉の神でした。17世紀から明治維新に至るまで薩摩藩の直轄支配を受けながらも、宗教では琉球王朝・尚家の聞得大君を頂点とするノロ祭祀体系の中に奄美は位置づけられていました。それが明治以降の急速な皇民化政策によって、天皇制を受容していくようになるのです〈鹿児島県に編入された奄美群島には各島の「神高い」場所に鹿児島の郷社である高千穂神社が分祀されていくなど〉)。
★テーマ4./10月21日(土)に神戸文学館で島尾敏雄を語るリレートークイベントを開催します。
このイベントは私(大橋愛由等)が企画・進行するものです。
「神戸から 島尾敏雄を問う」
文学・思想 そして奄美の位相から
リレートーク at 神戸文学館
(日時)2017年10月21日(土)午後2時~3時30分
(場所)神戸文学館
〒657-0838神戸市灘区王子町3丁目1番2号
電話・FAX 078-882-2028
(参加費)200円(資料代)
(出席者)
〈語るひとたち〉
(1)司会・企画/大橋愛由等(おおはし・あゆひと) 図書出版まろうど社代表、詩と俳句を書く。著作に詩集『明るい迷宮』、句集『群赤の街』ほか。
(2)語り手/高木敏克(たかぎ・としかつ)
小説家。第4回 神戸文学賞授賞。2016年度 神戸新聞文芸最優秀 授賞。文学同人誌「漿」主宰(現在休刊中)著作に『暗箱の中のなめらかな回転』、『白い迷路から』ほか。「月刊神戸っ子」などの雑誌に執筆。芦屋大学講師 、保険コンサルタント
(3)語り手/喜山荘一(きやま・そういち)
奄美群島・与論島生まれ。マーケター。企業の商品開発や販売促進を支援。著書に、『珊瑚礁の思考』『奄美自立論』『聞く技術』『10年商品をつくるBMR』他がある。
(案内文)
2017年、生誕百年を迎える作家・島尾敏雄(1917-1986)に関するリレートークを催します。島尾は生涯いくつかの場所に住みましたが、実家は神戸にあり、神戸と縁が深い作家です。また今年は映画「海辺の生と死」が上映され、ミホ夫人との戦争中の出会いと愛が表現されています。リレートークでは「神戸の作家」としての小説家島尾の評価と、ミホ夫人の故郷であり島尾が深くかかわった奄美にとって島尾はどんな存在であるのかを多角的に問い直す語りを予定しています。神戸と奄美にとって、島尾敏雄とはどんな表現者であったのかとの問いかけであり、島尾が築いてきた仕事についての〈顕彰〉から〈検証〉へまなざしを変えてゆくキッカケになればと想っています。
★テーマ5./今月の「奄美特選俳句」
番組では以下の二句を紹介しました。
(南海日日新聞に掲載されている「なんかい文芸」の俳句から選んでいます)
〈神の道白ハブの衣透けており 山野尚〉
〈群青の空に一枝百日紅 山すみれ〉
一句目。「神の道」とは、集落(シマ)にある祭祀の際にノロらが使う道のことだろう。「神道(かみみち)」と呼ぶ場合もある。(わたしの住む東灘区にも式内社の保久良神社がある山から海(茅渟の海)に向かう細い一本の道があり、いまは祭祀としては使われていないが、神道(かみみち)であったろうと思われる)。シマの人たちならその小径の意味は充分に分かっていて、そこで見つけた白ハブは、神そのもの、もあるいは神の使いに見えたのだろう。シマの中にいまだ濃厚に残っている祭祀空間があってこその作品だろう。
二句目。色の対比が鮮やか。「群青」と「百日紅」の赤が一句の中で同居することによって、色彩感が豊かになる。空と花というふたつのモノを並べて配置することで成り立つ俳句文芸の妙がうまく表現されている。
いまどきのメディアリテラシー9月9日~30日
いまどきメディアリテラシー
関西学院大学総合政策学部山中速人研究室ゼミ 番外編としてFMわぃわぃと協力して制作しています。
新聞からラジオ、そしてテレビ今やインターネットでのメディア発信が行われる現在、
その最初からメディアが社会の動きと大きな関係性を持ってきたのは確かなことです。
戦争の世紀といわれた20世紀のメディアが果たしたことを再度真摯に検証し
豊かな21世紀に向かうはずの現在の社会現象を共に見つめたいと考えています。
■9月9日放送分
日本のメディアの歴史を見つめるシリーズ
「アジア太平洋戦争の経験からメディアを考える~大本営発表」
①満州事変とメディア
新聞と世論が満州事変を支持し、熱狂を作り出していく過程をみつめる。当初、批判的だった朝日新聞は、大衆の圧力に負け、積極論に転向していった。
話し手:山中速人(関西学院大学教授)聞き手:金千秋(FMYYプロデューサー)
「大本営発表」とは、太平洋戦争(大東亜戦争)において、大本営が行った戦況の公式発表のことだが、戦争が終わって72年たった今も「ウソだらけの公式発表」の代名詞となっている。
ただし、これは過去のことではない、今でも、たとえば、福島原発事故に際して、NHKをはじめ、多数のマスメディアが一斉に、政府と東京電力の発表した、メルトダウンが起こっていないという公式発表のみを報道し続けたとき、この「大本営発表」の悪夢が過去のことではないことが示された。条件さえそろえば、いつでも、日本のメディアは、大本営発表を繰り返すのではないか。
■9月16日放送分
日本のメディアの歴史を見つめるシリーズ
「アジア太平洋戦争の経験からメディアを考える~大本営発表」
②大本営発表とメディア
大本営発表の登場。
大本営 1937年11月に設置、敗戦まで戦争を指導した。
大本営報道部は、1937年11月20日に発足した。
大本営発表は、作戦報道の最高権威と位置づけられた。
『大本営』(幻冬新書)辻田まさのり によれば
当初、陸軍と海軍でバラバラで、戦争を指導した。陸軍参謀本部が「大本営陸軍部」を名乗り、海軍軍令部が、「大本営海軍部」を名乗っていただけ。よって、大本営陸軍報道部と大本営海軍報道部が、別々に働いていた。1945年5月になって、はじめて大本営報道部に統合された。
当初は、新聞は過剰報道を抑制するような動きもあったが、新聞販売部数と過剰報道は正比例だったため新聞のセンセーショナリズムと軍の既成事実主義が、相乗し、ウソ報道の下地が形成されていった。(現代のFakeNewsにも通じている)
■9月23日放送分
日本のメディアの歴史を見つめるシリーズ
「アジア太平洋戦争の経験からメディアを考える~大本営発表」
③ガダルカナル戦とメディア
大本営発表の変化と転落の分岐点としての「ガダルカナルの戦いがそうだ。大本営発表報道の文言が巧みに言い換えられることで、真相が隠され、負け戦があたかも勝ち戦であるかのような粉飾がなされた。
言葉の言いかえの例:全滅→玉砕、撤退→転進
このようなことばの言い換えで真相をごまかすことは、今日でも続けられている。
敗戦→終戦、共謀罪法案→テロ等防止法、言葉には敏感であることが重要である。、
■9月30日放送分
いまどきのメディアリテラシー・通常版
Jアラートと北朝鮮ミサイル危機
全国瞬時警報システム(ぜんこくしゅんじけいほうシステム、通称:J-ALERT(Jアラート:ジェイアラート))
これは、通信衛星と市町村の同報系防災行政無線や有線放送電話を利用し、緊急情報を住民へ瞬時に伝達する日本のシステムである。2004年度から総務省消防庁が開発および整備を進めており、実証実験を経て2007年2月9日から一部の地方公共団体で運用が開始されている。
≪問題点≫
防災と戦争との同一視が生じることの危惧を知ってほしい!
防災情報を効果的に受け取ってもらうためには
「凍りつき症候群」からの解除が必要とされている。
イギリスの心理学者ジョン・リーチ博士の研究によると、運悪く不意の災害に見舞われた時、人の取る行動は次の三つのカテゴリーに分かれる。
1、落ち着いて行動できる人=10~15%
2、我を失って泣き叫ぶ人=15%以下
3、ショック状態に陥り呆然として何もできない状態になってしまう人=70~75%
大多数の人が発災時にショック状態に陥り、呆然として何もできない状態に陥る「凍りつき症候群」。
発災時における防災無線、非常放送などに期待されるのは「リスク予兆認知バイアス」の非常呪縛から解放し、緊急スイッチをONにすること。そして、リスクの早期「気づき」を促進するためには、実戦的防災知識、意識付け、訓練が重要。特にリーダー、行政、マスコミ、企業は、従来の緊急メッセージ内容などを検証し早急に改善することが、犠牲者を軽減する大きな役割を果たす。
これを軍事警報に応用するとどういうことになるかと考えることが必要。
→ 自然災害と戦争をともに、発生をとめられない現象としてとらえてしまわないか。原因を取り除く努力より、国防訓練に熱中してしまわないか。
→ 防災訓練の頻度は、自然災害にフィードバックされることはない。しかし、戦争は相手があることで、警戒訓練の頻度が相手国にこちらが戦争を予期しているのではないかという誤ったメッセージになる場合がある。
→ 消極的参加者に対する排除や攻撃の材料となることで、同調圧力を拡大し、国家の防衛体制に人々をいやおうなく組み込むことになる。
→ 防災関係は予算縮小の日本で唯一、拡大している部分だ。これに安全保障を組み込むことで、防災関係と安全保障(軍事)関係との一体化が進むおそれがある。
→ 防災研究がいつのまにか、国防研究にすりかわっていくことにならないか
→ テロ対策と防災の備えが、混同され、ふたたびマイノリティに対する攻撃や排除、虐殺につながらないか危惧する。
→ 原発から30キロ圏にすむ人々の避難については、計画すらたてられておらず、訓練すらしていない。テロ攻撃にもっとも弱い部分については、放置されている。ようするに、危険がリアルであるほど、対策が講じられない。リアリティがないからアラートをだしているということにならないだろうか。それは、アラートに対する恒常性バイアスを強化してしまうだろう。
ネットには、今回のJアラートが、平和ボケに対する警鐘になったというような粗雑な意見がみられた。排外主義と国家の危機だけ叫んでいれば、安全が保証されるというネトウヨの粗雑な意見と同様に、緻密さに欠ける主張に乗せられないよう、しっかりとメディアリテラシーをつけてほしい。