「YY音源ライブラリ」カテゴリーアーカイブ

6月24日土曜日17時半~18時「KOBEビジョンひろめ隊♡」

第11回KOBEビジョンひろめ隊♡のゲストは「みんなでつながり支えあう会」です。

( みんなでつながり支えあう会のみなさんとKOBEビジョンひろめ隊♡のパーソナリティの二人)

6月24日土曜日「KOBEビジョンひろめ隊」の番組のゲストは、みんなでつながり支えあう会です。
私たちのグループは、高齢者が住みなれた地域で、健康に安心して暮らしていくための活動に取り組んでいます。メンバーは10人で、自治会や婦人会で活動している人など、高齢者の生活支援に関心がある人のグループです。

グループ名については、「転ばぬ先の杖」で、高齢者が日頃からつながりあって、情報を共有し支えあっていくことを目標に活動しようということから「みんなでつながり支えあう会」としました。

昨年度は、地域のコミュニティ喫茶などの「居場所」を見学したり、神戸市の高齢者福祉施策の勉強会を実施しました。

あと数年で多くの団塊世代が70歳を超え、高齢者が4人に1人から3人に1人になる時代です。元気な人も、支えが必要な人も、住み慣れた環境で、健康寿命を少しでも長く、安心して楽しく過ごしていけるように、今後も取り組んでいきます。

6月のママトーーク、テーマは「食の大切さ」です。

添加物の恐ろしさやかくれ砂糖、加工食品の手軽さに隠れた怖さを知り、わが子を年月をかけて育てていくことの責任感や、大人が正しい知識を持つことが大切だと再認識しました。

朝食にごはん(米飯)がいいのはどうしてなのか?

ぜひ放送をお聴きください。
6/30(金)まで13:30-14:00に再放送されます。
FMYYのwebサイトでは、いつでも好きなときにお聴きいただけます。

グローバルエコトーク~ナイジェリア・アビジャと神戸の小学生の交流番組

6月24日のグローバルエコトークショウ。
ナイジェリアと神戸を結んでの番組は、今回はアブジャと神戸兵庫区の小学校を結んでのやり取りとなりました。

時代はどんどんグル―バルになり、自由に空間を飛び越えて子どもたちがやり取りできる世界となりました。
いつか会いたいね~~という声が飛びかいました。

6月24日のYYJOURNBAL長田の視点。丹波市市島土砂災害の検証番組その1

6月と7月のYYjournal長田の視点は、3年前の兵庫県丹波市市島の前山地区での強雨による中間山地での土砂災害についての検証番組をお送りします。
平成26年8月16日から17日未明に発生した集中豪雨により、1名の尊い命が失われました。そして、1,000戸を超える住家が損壊し、市島地域を中心に、道路、河川、農地、森林等に甚大な被害を受け、丹波市発足以降、経験のない大惨事となりました。これらの災害について、今後の減災・防災のためのYYcrewであり兵庫県の土木の専門家でもある宮本健一郎が企画立案し、現場に足を運びいろんな方のお声を頂いてまいりました。

6月「兵庫県丹波市市島土砂災害についていろんな角度からのインタビューその1」当時の丹波市市長であった辻重五郎前市長に、まずは発災当時からの2017年の今までを語っていただきました。

そして同じく丹波市の防災担当であり、現場の陣頭指揮に立ち丹波市復興推進部、復興推進室として力を尽くされた余田善彦さんにお話をお聞きしました。

丹波市復興プラン

6月17日のワンコイン~6月は防災がキーワード~

6月17日土曜日のワンコインはたくさんの参加のかたがおいでになりました。そしてキーワードは「防災」いろんな観点での防災のお話が満載です。

司会進行ははまのかずみ。ミキサーはcrewの上澤君と高松君。

参加者はBLA(Aはさかさまでの表記です)CK■MASQUEのNarmyさんとKioZmyさん。このお二人はミュージシャンでもありますが、今回はNarmyさんが命をテーマにした絵本作家ということでのおいでです。

いまちゃんは「自転車についてのお話」Crewの宮本さんは本業の土木の行政職の視点での「土砂災害」、今月の24日放送予定の兵庫県丹波市市島での3年前の土砂災害について取材した中からのお話。

ひさしぶりにおいでいただいたのは、神社前の濱田治療院の濱田ご夫妻。このお二人もいろんなお顔がある方ですが、今回は視覚障がい者への「一声」をかけることでその安全度がぐっとあげるというお話。

いまちゃんの自転車の話ともつながり、日々の生活の中で、そして梅雨時や台風、いろんな場面で「命」について考えるというお話が展開します。
またこの日17日は、特定非営利活動法人エフエムわいわいの総会でもあり、オブザーバー的に参加したたまちゃんからも須磨海岸のお話が出ました。自然とと門いある生活を大切にしたいと思う次第です。

いまどきのメディアリテラシー~関西学院大学総合政策学部山中研究室・番外ゼミ~

2017年5月13日から始まった「いまどきのメディアリテラシー~関西学院大学総合政策学部山中速人研究室の番外のゼミ講座~
2016年に改訂新版として出版された山中速人教授の娘と語るシリーズ「メディアってなに?」を土台に展開されています。

最初に出された「メディアってなに?」は、市民による市民のための市民が所有する市民メディアFMわぃわぃをモデルとした「コミュニティラジオとはなにか・・」という事から始まっています。

第1回それは1930年代のドイツから始まった。
第2回金もうけの王国に亡命知識人がやってきた。
第3回テレビがすべてを変えた。


第4回メディアが異なった放送をして対立することについて~フーコーの権力論から考える~


第5回メディアが間違うとき~認知的不協和理論で読み解く「虚報のしくみ」~
「メディアってなに?」の挿絵から「チョムスキー」


第6回続メディアが間違うとき~認知的不協和理論で読み解く「虚報のしくみ」~

第7回メディアが異文化を伝えるということ~E.サイード「イスラム報道」を読み返す~
「メディアってなに?」の挿絵から「サイード」



そして改訂新版は「インターネットは私達をどこにつれてゆくのか
としてFMわぃわぃでの13日から始まった番組は、上記のメディアの歴史をおさらいし、そして「今」何が起こっているのか??
それをタイムリーに読み解いていきます。

5月13日「メディアってなに?」を改訂したのは新しいメディア「インターネットの出現」がの意味を解くため。
5月20日「メディアは社会を豊かにするためにこそ生まれてきた」市民に開放されたインターネットの存在を読む。
5月27日メディアは記号の集積であるという事の認識。
6月3日メディアが異なった報道をして対立することについて〜フーコーの権力論か ら考える〜
6月10日メディアが自ら間違う時〜認知的不協和理論で読み解く「虚報」のしくみ〜
6月17日続・メディアが自ら間違う時〜認知的不協和理論で読み解く「虚報」のしくみ〜
6月24日4メディアが異文化を伝えるということ〜E.サイード『イスラム報道』を読み かえす〜
以上です。
是非お聞きいただきご意見ご感想をお送りくださるようお待ち申しております。

第3回 街ブラ〜人と街とくらしを探る

5/27土曜日、神戸中央卸売市場で行われたイベント「魚河岸(うおがし)デー」を取材しました。

まず「魚河岸デー」を主催されている、神戸おさかな普及協会代表理事の山本さんにインタビューしました。この「魚河岸デー」は2年前から始まり、今回で8回目、年3回のペースで毎回テーマを決めて行われています。今回のテーマは「焼き魚」。焼き魚の飲食ブースで神戸海産物協会 理事 畠山さんにもお話をお聞きしました。

普段なかなか入れない中央卸売市場は、子供たちも興味深々。こどもエビすくいコーナーには長い列がありました! エビすくい直後の小学生の女の子にインタビューしました。

さらに、「魚河岸デー」で毎回大人気の塩干くじ1回200円にも長蛇の列が! その中で、娘さんとお孫さんを連れて並んでらした女性にお話を聞いていたところ、なんと一等賞が出ました〜〜! 一等賞を引き当てたもうお一人の女性の方、おめでとうございました。お喜びの声もインタビューさせていただきました。

世界的に和食ブームとは言われていますが、その中で日本のお魚消費量は減っているそうです。神戸おさかな普及協会の皆さんは、一週間に1回でも多く魚が食卓に上がるようにと日夜努力されています。是非、健康の為にも神戸市民の皆さんにこの熱い思いが伝わりますように。

これからも、街ブラは輝くひと・街を応援します。
次回もどうぞお楽しみに〜!

6月17日の「南の風~奄美編」今月(6月)のテーマは、「悼む・追悼」です。

今月(6月)のテーマは、「悼む・追悼」です。


このテーマに入る前に〈うた〉はどうして生まれたかを語りかけます。
人類はどうして〈うた〉を歌ったり、朗唱するようになったのか。
これにはさまざまな説があります。男性が女性を、女性が男性を愛する・恋するがために生み出したのが〈うた〉であったり、自然現象を起こしたり制御したりする神・神々といった形而上学的存在を讃える呪詞として呪術者が発語したコトバに節が付けられたとも考えられ、あるいは古代社会では今よりもっと身近であった死に向き合った時に今まで生者であった身内の者に対する愛惜の感情が自然に〈うた〉という形となった……といったものがあります(他の説もある)。
こうした〈うた〉の発生はポリフォニックに同時発生して相互に影響しあったのではないかと唱える研究者もいて、われわれに大きな刺激を与えてくれます。

こうした〈うた〉の発生を考える時、今回のテーマでもある「悼む・追悼」は、大きな要因だと言い得るでしょう。
そこで取り上げたニュースに、小説家・島尾敏雄についての情報があります。
この作家は神戸と奄美に深くかかわったひとで、今年がちょうど生誕100年を迎えることもあって、各地で記念イベントが行われます。一番さかんに展開するのは、20年間を生活した奄美大島でしょう。
番組ではまずその奄美におけるイベントを紹介したのです。
1.島尾敏雄の夫人である島尾ミホ原作の映画「海辺の生と死」の上映〈7月7日。神戸でも元町映画館で近日上映される〉
2.7月8日に、島尾敏雄に関するシンポジウムを開催。沖縄から詩人・川満信一氏らを迎えるなど)。また、10月21日(土)には、神戸文学館において、私・大橋愛由等が企画する〈神戸と奄美を越境する作家・島尾敏雄のトークセッション〉を開催します。

そして「悼む・追悼」として取り上げたのは、来年のNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」で再び脚光を浴びる事になった西郷隆盛についてです。
西郷は二度奄美に遠島(島流し)されていて、奄美とも深く関係しています。そこで西郷と関係のある奄美の故地(奄美大島、徳之島、沖永良部島)で、顕彰する動きがすでに盛んになっています。西郷については、維新の偉人が奄美にかかわっていたことに感動したり、「敬天愛人」といった西郷の座右の銘は奄美時代に着想されたものだとか、奄美の人びとに対して横柄な態度をきわめる薩摩の役人を叱りとばしたとか、西郷礼賛の素材は多くあります。
しかし西郷は果たして奄美に対してなにをしたのか客観的に考えるべきと主張するひともいます。それは西郷のシマンチュに対する態度とか(遠島された初期に書き記された手紙には、薩摩の人が当時共有していたであろう奄美の人に対する差別意識が見られる)、明治維新となって、自由販売となったはずの奄美の特産品である砂糖に対して、藩政期とおなじ砂糖収奪のありかた(第二次砂糖総買い入れ制 )を続けようとしたりとか、こちらの素材(反西郷)も少なからずあります。これから奄美内外で、西郷評価が議論されたり、話題になることでしょう。

もうひとつ「悼む・追悼」のテーマで、FMわぃわぃのリスナーのみなさんに聴いていただきたい音源を紹介しました。それはつい先日(5月26日)に亡くなった詩人・富哲世氏(1954-2017)による詩の朗読です。13分37秒にわたる長編詩を一気かつ情熱的に吟じたものです。朗読した作品は、スペインの国民的作家といわれるフェデリコ・ガルシア・ロルカ(1989-1936)の「イグナシオ・サンチェス・メヒーアスヘの追悼歌」。ロルカが敬愛していた名うての闘牛士が闘牛の最中にまさかの事故で死にいたることに対しての追悼作品です。この朗読の紹介は、奄美と直接関係がないのですが、「南の風」のコンテンツは奄美に関する情報と同時に神戸の情報を、奄美を含めたすべてのリスナーのみなさんに伝える番組だと考えていますので、FMわぃわぃのある神戸に「悼む・追悼」を込めた詩の朗読をたくみにする詩人がいたことを、リスナーのみなさんに知ってもらおうと放送したのです。やはり「悼む・追悼」の〈うた〉はひとの心のなかにぐっと迫るタマシイの力がありますね。(ちなみに、この富哲世氏の朗読は、2001年の第4回ロルカ詩祭で朗読されたもの。このロルカ詩祭とは、ロルカ生誕100年の時〈1998年〉から、神戸・三宮のスペイン料理カルメンで開催されている文学イベントです。今年〈2017年〉はちょうど20回目にあたり、カルメンで8月19日〈土〉午後5時から開催されます。第一部はロルカ詩の朗読、第二部はロルカ的世界に身を委ねた詩人たちの自作詩の朗読です。)


(写真は、〈「ロルカ詩祭」で朗読する詩人・富哲世氏〉)こうした「悼む・追悼」に関するテーマに番組の最後に、ひとつの違う角度からの情報を挿入します。それは、奄美群島の「松枯れ被害」についてです。奄美の松はリュウキュウマツ。その松が「松枯れ病」の被害にあって、立ち枯れの木がいたいたしく奄美の山々に点在するまです。島の俳人は〈そそけ立つ枯れ松の骨山眠る 恵ひろと〉と詠みます。しかしこうした松の立ち枯れ=死に対して、違う見解があります。立ち枯れが目立つ山の稜線にある松は、もともと松という樹木の特性として、本来植える場所ではなかったという説です。ではどうして山の稜線に植えるようになったかは、鳥たちが種を運んできて、その場所で生命力が強い松が育ったというのです。しかし松が育つことで、その下地に陽光が差し込まないことになり、本来そこにあるべき樹相が育たないといいます。しかし松が枯れることで、また豊かな奄美の亜熱帯の杜が広がってゆくから、松枯れというのは、新たな樹木の再生を促すという効果を生むのだとの解説を読んだのです。ここで私が言いたいのは、枯れてしまった松を亡くなった人にたとえることのではなく、松の後にあらたなイノチが生まれてくること。つまり枯れは枯れとして終わるのではなく、次の再生というステージが準備されていること。枯れは次の物語(記憶)を生み出すのだということ。つまり「悼む・追悼」とは、悼む行為をするひとたちにとっては自分たちの生の確認儀式なのかもしれない、そしてつぎなる再生へのオマージュかもしれないのでは、とリスナーに語りかけて番組を終了したのです。