日本国憲法記念日によせて~平和であるからこその日常~

FMわぃわぃは、1995年の阪神・淡路大震災を契機に多文化共生、メディア、災害とまちづくり、この3つを基本として活動を続けています。そして70年前に施行された日本国憲法の三原則(主権は人々にあり、その人々の基本的人権を尊重し保障し、そして戦争の放棄と武力の不保持を政府、国家に守らせるための立憲主義の根幹)にのっとった「まち」「社会」の構築をめざています。それには自分たち一人ひとりの生活に憲法というものがどのようにリンクしているのか、それぞれが理解する必要があります。
本日は災害という観点から基本的な法の順守、また法についての考えをわかりやすく読み解かれている室崎益輝氏の文章を、ご本人の了解を頂きましたので転載させていただきます。

◆災害救助法の改正に向けて(その1)・・特別基準の大切さ

5月3日は、憲法記念日である。70年前の昭和22年に、現在の憲法が施行されている。その憲法が施行された5か月後の10月に、災害救助法が施行されている。

災害救助法が70年も前に制定されたので、もはや時代遅れで陳腐化しており、全面的に改正すべきだという声が大きくなっている。災害救助法が今の被災者救援を妨げる元凶だという声さえもある。しかし、私はそうは思っていない。災害救助法が憲法や地方自治法と同時期に制定されたことをみても、そこには自治や人権擁護といったとても大切な考え方が貫かれている。それを、しっかり守らないといけないと思う。

無論、社会状況も前提とする災害の規模も制定当時とは大きく違ってきているので、その違いに配慮した修正がいるのは言うまでもない。ただ、その修正の声に押されて、大切なものまで修正してしまう「愚」は避けたい。変えるべきものと「変えてはならないもの」とを峻別して、災害救助法のあり方を論じなければならない。

変えてはならないものの一つは、災害の状況に応じて弾力的に法を運用するという考え方である。それは「特別基準」という救助法の枠組みに組み込まれている。今までの運用を見ると、この特別基準を活用して、40㎡(3K)の仮設をつくってきたし、寒冷地仕様の仮設もつくってきた。特別基準で、標準単価をはるかに超える700万円もする仮設住宅を認め、有珠噴火災害や中越水害など多くの災害で「借り上げ仮設住宅」を認めてきた。阪神・淡路大震災では、特別基準を使って希望者全員の仮設入居を可能にしている。

この3月末の内閣府の告示で、一般基準としての仮設の単価や規模の改正などがはかられたが、それらは上述したように特別基準ですでに実施してきたことで、その改正を諸手を挙げて高く評価することではない。より大切なのは、実態と必要に応じて弾力的に特別基準を適用することで、被災の状況に応じて支援をはかるという災害基準法の原点に立ち戻ることである。

◆災害救助法の改正に向けて(その2)・・災害保護と自立奨励

変えてならないものの一つに、災害救助法の基本目標とその根底にある基本理念がある。

災害救助法の第1条には、「災害にかかったものの保護をはかる」とあり、その制定時の国会の付帯決議には、「新憲法により保障されている国民の基本的人権及び財産権が侵害されることのないように」とある。

災害にかかったもの保護とは、災害によって自立あるいは自活できなくなった被災者に寄り添って、被災者が自らの力で立ち上がれるようになるまで救助し支援する責務が国にあることをいっている。被災者の人権を守り被災者に寄り添うことが求められている。

支援を必要とする被災者が存在する限り、被災者の要件を問わず、国籍や居住地を問わず、支援を必要としているすべての被災者に手を差し伸べることを災害救助法は求めている。被災者の実情に即して対処することを求めているのだ。それを「平等の原則」とか「災害保護の原則」と呼んでいる。

避難所に来た被災者と在宅している被災者、全壊の被災者と半壊の被災者を、応急支援の段階においては差別してはいけない。支援を必要としている人に必要な支援を与えるのが、救助法運用の基本原則である。この基本原則を忘れると、「避難所の被災者以外には救援物資を提供しない」といった誤った対応が生まれてしまう。

その一方で、災害救助法は「少しでも自立できる状況にある被災者」には厳しく自己解決を求めている。この自己解決要求を杓子定規にとらえると、特定の被災者しか支援をしないという「救貧主義」の罠にはまってしまう。

ところで、災害保護というのは「自立を前提とした支援」で、自立できるように支援をはかる引き出す支援でなければならない。災害救助法の自己解決主義は、自立を引き出そうとする配慮ゆえのもので、切り捨てることを意図していない。自立を促す対応とセットに災害の保護を考えないといけない。

救助項目としての住宅の修理は、救助法の制定時にはなかった。制定後3年目に住宅修理は追加されている。自力再建支援をはかる姿勢が、住宅修理支援につながった。全壊の被災者には与える支援で仮設住宅の提供をはかったが、それでは半壊の被災者は救えないことが明らかで、半壊の被災者には引き出す支援で修理をサポートし自力解決を促そうとしたのである。

◆災害救助法の改正に向けて(その3)・・教育を含めた包括的救助の仕組み

災害救助法から学ぶべきことに、生活保護を包括的に捉えた救助の総合的な体系があります。災害救助法の「救助の項目」を見ると、生活の場として避難所や仮設住宅などを確保することはいうまでなく、「衣食」さらに「医職」も救助の主要な項目として位置づけています。

医療の支援には、助産も含まれています。職業の支援については、「生業に必要な資金の給与また貸与をはかる」として、生業の確保が被災者の自立に欠かせないとの視点が貫かれています。現在は、住宅支援に比べて生業支援が疎かになる傾向があるだけに、これまた原点に回帰する必要を教えています。

中でも見逃してはならないのは、子どもたちの教育支援です。学用品等の現物支給という形で支援をはかることになっていますが、これは子どもの教育が救助や復興できわめて大切だという考え方を反映したものです。

現在の、学校の再開を後回しにしたり、学校の先生を子どもから取り上げ避難者のケアに駆り立てる傾向を見ると、子どもの教育を救助の最優先課題として位置づける災害救助法の原点を、再確認しなければなりません。

災害救助法で何よりも最初に改めるべきは、こうした原点を忘れた姿勢や誤った法の運用のあり方だといっても、過言ではありません。

「長田今昔ものがたり」第42話

第42話 カネボウの選択で飛躍 2017年4月29日放送

産業化が進むなか、カネボウが、吉田新田のあった土地を工場適地として選びました。決定的だったのは「地下水の豊富さ」です。1894年は「一躍進の年」と位置づけています。運輸(物流)の便利さ、京阪神の消費地に近いのもその理由です。ほかにも、先行したマッチ産業のよく働く人が居たことも幸いしました。おかげで、工業用地として土地は売れ、事業家となった富裕層は、持ち前の「自律の精神」で銀行業や鉄道業に投資してゆきます。和田岬線や兵庫運河や苅藻島など、すべて民間パワーが先行した町なのです。


42話  カネボウが選んだ土地、ヴィッセルが今活躍

毎年4月29日は長田四大祭りの春の祭「花水木まつり」FMYYも毎年実行委員会の一員として参加しています。


長田の四大祭りの一つ、春の祭は「花水木まつり」です。
「ハナミズキ」は長田の樹でもあり、「ハナミズキロード」という街路樹としてまちのあちこちで見ることができます。
今年の「花水木まつり」は第13回目、震災後地域の活性化という意味合いで長田区役所前の広場で始まったこの祭りです。区役所主導だった夏の「たなばた祭」同様、春の「花水木まつり」も現在は実行委員会形式で、長田の地域住民自身が開催するという形へと移行していきました。
震災から22年を経過し、行政主導から住民との参画協働で様々なまちづくりの方向が成り立っている「1.17KOBEに灯りをinながた」と同様、これが神戸、長田での震災復興・再生まちづくりの形なのかもしれません。

FMわぃわぃもこの「花水木まつり」には、最初から「まちづくり」のツールとしての「祭」という視点で、この集いの熟成、育成に参加してきました。多文化共生のなかで、長田神社という「場」を中心に置き、和のテイスト、長田の歴史を体に感じるものとして提案してまいりました。今年も長田神社境内のステージで、司会進行、音響担当として参加しています。一度ぜひ陣中見舞いにおいでくださいませ。

今年はインターネットラジオとして番組制作を去年の7月から担当しているYYcrewの新しい仲間たちが、この長田の春の祭を取材いたします。
「花と水と木」のまつり、あの阪神・淡路大震災で大きく感じたことのひとつが、「水」の大切さ!そして大火災に見舞われた長田地域としては、水をたっぷり含んだ樹木が防火に役に立つこと、緑のありがたさ、花が咲くことで心が和むこと、花の香りが漂うだけでも、真っ暗な被災地の人々の心が温かくなることを知りました。
人間も自然環境の中で生かされている!自分たちの便利だけを追求し、どれだけ自然を破壊してきたのか。。。その驕りを立ち止まって見直す必要があることを身に染みて感じました。
四つの季節のある日本列島に住み、春の心地よさの中でもう一度かみしめるための「祭」でもあります。

4月29日の「花水木まつり」のインタビューの様々なお声は、5月20日の土曜日13時半からの「街ブラ~人と街とくらしを探る」で放送いたします。

毎月第3土曜日13時から30分「らの会わぃわぃbyねっとわーくながた」の時間です。

4月22日はネットワークながた代表石倉泰三さんのご出演。

人にはいろんな顔がありますよね。
石倉さんもたくさんの顔があります。
ネットワーク長田という障がい者事業所の連携の代表という顔を持ちつつ、その他にもいろんな顔があります。

その一つはこのTシャツはカンボジアのHARDROCK cafeで購入したというだけある「ないす」というグループの一員musicianとしての顔、そしてカンボジアの子どもたちのための学校建設・運営にかかわるNPO法人Srolanhプロジェクトの一員の顔。

長田の寅さんの顔、そしてラリーのレーサーという顔もあるのです。

この前は富士ラリー1000CCクラスに参戦。

多様な人々との出会いの中で、お孫さんが生まれてから新しい自分の顔に挑戦するのもいいことです。

サラリーマンから障がい者との出会いの場へ飛び込み、パン屋を始め、寅さんにも挑戦。そして今はドライバーへの道も歩んでいます。

震災からの「まちづくり」での出会いが大きな転換になったり、人の生き方の多重性を生み出したそのお一人でもあります。

新番組スタート「ママトーーク」

輝支援センター神戸の提供番組は、毎日13:30-14:00の時間帯で、この春から全部で4番組でスタートしています。それぞれカラーの異なる番組ですが、第4週はこの「ママトーーク」です。

「ママトーーク」は、神戸市立婦人会館を拠点に活動している、KOBEママネットのメンバー・サポーターが集まって、 年齢や性別に関わらず、日頃世の中に抱いている疑問や不満の数々について、たまにはマニアックな話題まで、メンバーでぶっちゃけトークをしようという試みです。

さて、今回のテーマは「女性が輝く社会とは?(1)」。未だ、家庭・学校・地域社会には「女の子だから」「お母さんなんだから」という古くからの強い役割分担意識、固定観念が根強く残っている現状ですが、社会の活性化のために働き手として多方面での女性の活躍も求められています。

メンバーそれぞれが自分のやりたいことができていた独身時代を経て、子育て、親の介護など、そのステージに応じて価値観の変遷と対応の必要性を実感してきていました。

社会に取り残されているかのような不安感を抱き、周りにサポートを求めながら、自分のやりたいことも実現させるためにどう行動してきたか? その中でも大事にしてきたことは何か? 悩みながら、考えながら、そして こうやっておしゃべりしてお互いに影響し合って教わりあい、自分の望みの実現に向けて、これから何を選んで行くべきか?

5人のぶっちゃけトークをどうぞお楽しみください。

4月最後の「ワンコイン番組」来週4/29は再放送と花水木まつりの告知~~

4月22日のワンコイン番組、
今回も12時から一時間、わぃわぃに縁のある方々がそれぞれのワンコインを握ってやってきてくれました。

今回の参加者はYYCrewの田村遊さんと上澤寛文さん、インターンの関西学院大学生大西優衣さん、FMYYの金千秋さんにお話頂きました。ミキサーは同じくCrewの上澤さんと松井です。

今回は日常生活の中で気づいた事、最近ネットやニュースで話題になっている事から、
「街の風景が一緒になってきていること」
「森友学園問題の後始末について」
「高速道路の料金の値上げ」の三つをお話しして頂きました。

「街の風景が一緒になってきている」お話では、人それぞれの感じ方、価値観の違い、大手企業などの名前での先入観などの話が上がりました。
「森友学園」のお話では今回報道された話題を通じて、教育やメディアの今、社会の代表としての在り方についてなどで盛り上りました。
「高速道路の料金体系変更」のお話では交通手段、方法のメリット、デメリットの話を中心に、世間にどういった影響を与えるのかなどの話が上がっていました。
次回はどんな方々がお話してくださるのでしょうか。ワンコイン番組では、あなたの参加をお待ちしています。

リポーター:神戸学院大学 YYcrew 松井夕華

神戸市長田区から世界の言語で放送しています。