神戸長田の多文化・多言語コミュニティ放送局│FMわぃわぃ | 神戸市長田区から世界10の言語で放送しています。 | ページ 2

즐거운 잔소리 시간 チュルゴウン・チャンソリ・シガン(楽しいおしゃべりの時間)第2回

즐거운 잔소리 시간 “마포종점〟 麻浦終点”3月4日土曜日6時半から7時

오늘방송은1960대 인기가요 은방을자매의 노래 마포종점에 대한 이야기입나다.
그 시대에 가난한 사람들이 모여산 전차의 종점인마포는 많은사연들이 담겨있고, 국민애창가로도 많이 알려져있습니다.

이노래는 그당시 마포구에 살았던 작사가 정두수선생님이 발착을 알리는 땡땡땡종소리와 함께 서민의애환과 정취를 싫어 나르는 전차가 사라진다는 아쉬움에 전차와 더불어 어느두여인의 슬픈사랑이야기에 얽힌 아련한 옛기억을회상하면서만든 노랫말에 작곡가 박 춘석선생님이 곡을 붙혀 1967년 에 발표했습나다.

노래가사는 마포종점을 바라본 한강을 낀 마포의 야경이 잘 나타나 있어 마포주변의 옛 모습을 회상하는데 도움을 줄 뿐만 아니라 마포가 여러 사람에게 사랑받는 계기가 되었답니다.
서민의 발이요, 애환을 실어 나르던 전차는 ‘마포종점’의 노래가 발표되던 이듬해 세월의 기억 속으로 사라지게 되었고, 1968년 11월 30일 운행이 전면 중단된 전차는 그 당시로는 가장 중요한 대중교통 수단이었지요.
또 이노래에 나오는 /강건너 영등포에 불빛만 아련한데/가사는 당시 영등포는 각종 공장들이 밀집한 공업단지로 대한민국 경제 발전의 견인차 역할을 하던 곳 입니다. 따라서 영등포는 전국에서 몰려든 수많은 구직자들이 몰려들던 인구밀집 지역 이었습니다.

특히 마포는 빈곤층들이 모여사는 서민들의 애환이 서린 대표적인 달동네였지요.
이에따라 인적,물적 자원이 풍요로웠던 영등포에 수많은 유흥업소가 생기고, 급작스럽게 팽창한 신시가지는 범죄 발생 빈도도 당시에는 으뜸이었다고 합니다.
이노래가사에 나오는/저멀리 당이리에 발전소도 잠든밤/은 홍익대와 인접한 마포구 당인동의 서울발전소는 예전에 당인리 발전소라고불렸다고합니다.
식민지시대인 1930년에 서울 외곽이었던 당인리에서 화력발전으로 전기 생산을시작하며 서울특별시 발전의 동력 역할을 톡톡히 하였지요.
또 노래가사에서는 /여의도 비행장엔 불빛만 쓸쓸한데 /지금의 상식으로는 도저히 상상되지 않지만 여의도는 일제시대에 만들어진 국내 최초의 비행장으로 1958년 김포로 이전하기 까지 국제공항으로 사용되었습니다.
마포종점 노래가 발표될 당시에도 미공군 기지로 사용되며 군용기들의 이착륙이 활발하였습니다. 그러므로 비내리는 밤, 마포에서 건너다 보이는 여의도의 비행장 불빛이 쓸쓸하다고 표현했을 것입니다.

이와같이 노래를통해서도 그시대의 흐름을 어느정도는 알수있듯이 이노래에서는 마포외 영등포,당안리,여의도 세군데 지명이나오므로 그당시 이지역에대한 발전상 등을 엿볼 수 있는 것 같습니다.

“마포종점〟 麻浦終点

밤깊은 마포종점 갈 곳없는 밤전차
비에 젖어 너도 섰고 갈 곳없는
나도 섰다 강건너 영등포에 불빛만
아련한데 돌아오지 않는 사람
기다린들 무엇하나 첫사랑 떠나간
종점 마포는 서글퍼라

저멀리 당인리에 발전소도 잠든 밤
하나 둘씩 불을끄고 깊어가는 마포종점
여의도 비행장엔 불빛만 쓸쓸한데
돌아오지 않는 사람 생각한들
무엇하나 궂은 비 내리는 종점

チュルゴウン・チャンソリ・シガン ”麻浦終点(마포종점)” 

今回の放送は 1967年度정두수作曲家により発表された「麻浦終点」歌謡曲についての話です。
この時代の麻浦(マッポ)は電車の終点であり、貧しい人々が多く住んでいるところでした。
この歌にある「麻浦終点」から漢江を眺めてみると、マッポの夜景が綺麗に見えることから、昔の姿を思い出すのに役に立つだけではなく、大勢の人達に愛されています。 
庶民の足であり、庶民たちの哀歓を共にしたこの電車は「麻浦終点」という歌か発表された次の年1968年11月30日に電車の運行が全面的に廃止されました。
この歌の歌詞の中には、地名がマッポ以外にヨンドンポ、タンインリ、ヨイトなど3ヶ所出てきます。
特にその当時のヨンドンポ(영등포)は、各種工場が密集し、工業団地として経済発展に大きな役割を果たしました。従ってヨンドンポ(영등포)は、全国から大勢の人々が求職を求め영등포に集まっていたため、人口密集地域でもありました。
それにより、ヨンドンポ(영등포)は、人口密集地域であり商売も盛んで、数多くのお店や飲み屋などが集まるという急速に大きな町になっていたことから犯罪発生頻度も当時最も多くありました。
また この歌に出てくる地名タンインリ(당인리)は、現在の麻浦区タンインドンですが、当時はソウルの発電所がありました。
これがタンインリ(당인리)発電所です。1930年に初めての火力発電所として電気生産を始めソウル市発展に大きな役割を果たしました。

さらにこの歌に出てくる地名ヨイド(여의도) には、日本の植民地時代に作られたヨイド空港(여의도비행장)があり韓国最初の飛行場で国際空港としても使用されました。
このヨイド(여의도)飛行場は、1958年に現在の金浦空港として移転しました。
「麻浦終点」という歌が発表された当時にも、ヨイド(여의도)飛行場は、米国空軍基地として使用され軍用機の離着陸が活発でした。
それで歌の歌詞の中で、♪″여의도 비행장엔 불빛만 쓸쓸한데(ヨイド飛行場に、灯りだけが寂しいね~~)〟という歌詞があります。
当時、雨降る夜にマッポから眺めてみるとヨイド(여의도)飛行場の夜景はとても寂しく見えていたからかも知れません。それでこのような″여의도 비행장엔 불빛만 쓸쓸한데〟という表現を用いたと思います。

以上、歌を通してその時代の経済、地域性などをある程度知ることが出来たと思います。
この歌の「麻浦終点」歌詞には地名がマッポ以外にヨンドンポ、タンインリ、ヨイドなど3ヶ所が出てきます。今回の放送では以上のように「麻浦終点」の歌に出てくる地名の背景について様々な面から話をしました。

「長田今昔ものがたり」第33話

第33話 隠れた偉人、濱田篤三郎 神戸開港に貢献 2017年2月25日放送

神戸では「濱田篤三郎の名前はよく知られていない、神戸開港に寄与した人物であるのに」と須磨の住人・井上さんは指摘する。濱口氏は1868年の神戸開港と同時に、和歌山から神戸に移住した。元町を拠点に外国人向けの古美術品の販売や雑貨の輸出業を展開した。当時、輸出入は外国商社が主導権をにぎり、日本側は不利だった。外国人を通さずに、日本人が直貿易をするため、居留地にて同業者組合である「丸越組」を1881年に設立した。米英仏などへの販路を築くなど海外貿易の基礎をつくった。「東の渋沢、西の濱田」と言われたという。(神戸新聞2011年12月6日夕刊にて、井上氏などが濱田氏の手記を紹介)

33話 濱田篤三郎関係写真(準備中)

KOBEビジョンひろめ隊♡第7回目~ゲストは地域のための起業サポートグループです。

2月25日第4土曜日の17時半~18時「KOBEビジョンひろめ隊♡」の第7回目の放送、ゲストは、地域のための起業サポートグループです。

私たちのグループは、第8期ビジョン委員会から活動を開始した新しいグループです。地域経済の活性化を図るため、地域のために起業する個人や団体のサポートに取り組んでいます。メンバーは、12人で、地域活動に積極的に関わっている人や会社員OBで環境の専門的知識を持っている人など様々です。

グループ名の「起業」とは、「新しく事業を始めること」です。事業というと、とりわけ避けがちな「お金」の話になってしまいますが、地域のために、誰かの為の役に立ち、その人がハッピーになった分だけ、感謝のしるしとしてお代金をいただく、その持続可能な仕組みづくりが起業であり、それをサポートすることにより、地域の活性化に寄与したいと考えています。

会合では、有償ボランティア、クラウドファンディングや社会的インパクト投資など様々な議論を楽しく、活発におこなっています。また、具体的な活動では、グループメンバーが取り組む、垂水区高丸地区で、空き家を活用した子供から高齢者までの居場所づくりへのサポートを行ったり、長田の下町芸術文化祭プレイベントに参加し、若手アーティストのみなさんらと交流しました。今後も活動の支援について考えていきたいと思っています。

「長田今昔ものがたり」第32話

第32話 船からの朝鮮、ロシア 2017年2月18日放送

朝鮮半島に入り、当時の中国(明)まで占領しようした秀吉のふるまいは、今も半島では「壬辰倭乱(じんしんわらん)」として語り継がれています。徳川の世になり、朝鮮国と信(よしみ)を通じあうことが大切とし、1811年まで12回にわたり、「朝鮮通信使」が日本にやってきています。400名を越すグループで、海路で寄港する接待も1年前から準備するほどでした。兵庫津にも宿泊しました。港のある町は海洋での国際進出の話も残っています。淡路出身の高田屋嘉兵衛は、北方の海路を開拓、ロシア人とも毅然として交渉し、ロシアの「日本人観」の基礎をつくったのです。


32話 のろしの場所(いまの長田港)駒ヶ林にて

2月18日のワンコイン番組~本日の土曜日はいろんな人々が満載です!

2月18日土曜日12時~13時のFMYYワンコイン番組。FMYYのあるたかとり教会、たかとりコミュニティセンターは本日多様な人々がたゆたっています。


本日の番組の参加者は、蔀よりこさん、はまのかずみさん、今井正さん。 、そしてミキサーは上澤君と高松君のTwoTopです。

多言語センターFACIL提供「まちはイキイキきらめき講座」連続講座の第4回目


多言語センターFACIL提供「まちはイキイキきらめき講座」第4回目
講師はジャーナリスト、そして東京都市大学客員准教授 猪熊弘子さんをむかえて「外国人就住地域から学ぶ『子育て』」



実際に川崎という神戸長田に似たオールドカマーの在日コリアンと大企業の労働者や通訳などの多様なニューカマーの住むまちでの子育ての経験から、ジャーナリストとしての視点と保育者としての視点、研究者としての視点を合わせて講演していただきました。

*内閣府子ども・子育て支援新制度ホームページhttp://www8.cao.go.jp/shoushi/shinseido/outline/
こちらを「子ども・子育て支援新制度」については参照ください。

多様性を持つ子どもたちは明らかに日本全国に広く存在しています。彼らが多様性を善しとしてこの国で成長していくことこそ、この国の大きな力になっていくのではないでしょうか。

*内閣府子ども・子育て支援新制度ホームページhttp://www8.cao.go.jp/shoushi/shinseido/outline/

すべての子どもたちが等しく、それぞれの個性にあった教育を受けることができること!その実現には現場からの発信が最重要です。
連続講座第5回目の多文化多言語まちはイキイキきらめき講座は、2月21日火曜日19:00~21:00 会場はたかとりコミュニティセンターです。

今月の南の風~奄美編 大橋愛由等さんの22年間毎年の奄美諸島訪問の記

「南の風」2017年2月の放送
2月18日土曜日5時からの「南の風~奄美編」は大橋愛由等(フランス革命の旗印!愛と自由と平等から名づけられたそうです)さんの担当。22年間毎年通っていらっしゃる奄美諸島訪問の報告です。
2月は、阪神淡路大震災の翌年(1996年)から毎年つづけている〈奄美ふゆ旅〉の様子を紹介しています。
この旅は、ちょうど1.17の前後に設定しているのです。すなわち、私・大橋愛由等にとって、再生=蘇りの意味を持ちます(毎年1.17がくるたびに震災の追体験をして仮死のシンパシーに陥り、奄美に旅に出ることで、蘇生するイニシエーションを繰り返す、ということ)。

22回目の〈奄美ふゆ旅〉は、ここ数年定番のコースになっている沖永良部島、徳之島、奄美大島(いずれも奄美群島)の三島を訪れました(1月16日~19日)。2月の放送では、沖永良部島のことを中心に語っています。
とくに強調したかったのは、沖永良部島の「墓正月」の民俗行事を実見したことてです。これは、毎年きまって一月一六日に行われる祭祀で、わたしが見学したのは、沖永良部島のいくつかある集落のなかでも、「墓正月」の習俗が濃厚に残っている瀬利覚(じっきょ)集落にある朝戸家の墓所でした。

本土の墓と違うのは、墓所のスペースが広いこと、そして低い壁に囲まれて独立性が高いことです。墓石の形状そのものは本土と同じで、沖縄の亀甲墓は奄美には入ってきていません。墓所のスペースが広いのは、一族が寄り集まって飲食をするためであり、この日のために本土に働きに出ている家族が還ってくることもあるのです。

「墓正月」というのは、正月に先祖を家に迎えて、正月を共にすごし、そして一月一六日に家から墓に帰すための祭祀であると位置づけられています。瀬利覚を含めて、この「墓正月」の際に、特別の呪謡や唱え言葉はありません。きわめて私的な領域の家族祭祀です。

わたしが訪れた朝戸家の墓所にも夕刻になると、親族が集まってきて、にぎやかな宴会が始まろうとしていました。ちょうどその時、鹿児島県文化財課の調査チームも「墓正月」の調査に入っていて、旧知の小川学夫氏(奄美歌謡研究者)と出会い、奄美の文化について意見を交わしたのです。

この「墓正月」に関してもうひとつの視点を紹介しておきましょう。それは民俗・歴史研究者の先田光演氏(沖永良部島在住)の識見です。それによると「墓正月」はあくまでも個人祭祀であるので、集落(シマ)や島全体に敷衍することはない。沖永良部島にはかつて豊潤に集落単位の共同祭祀があったのですが、他の奄美群島の島とくらべて極端に減ってしまったのです(同じ北山文化圏である与論島には〈島建て〉とかかわるシニグ祭が継承されている)。そこで去年に行われた「世之主六百年祭」のように島全体を包括した祭祀をあらたに創出してもいいのではないかと語っています。(世之主とは沖永良部島を統治していた北山王国系の支配者で沖縄本島を統一した中山勢力が軍船をひきいて沖永良部島にやってきた一四一六年に自害。その年からちょうど六百年にあたる去年、いくつかの記念行事が行われました。)
使われる音源は、FMYYレーベル、ジャバラレーベル、そして大橋さん自ら収録された楽曲が流れます。

「長田今昔ものがたり」第31話

第31話 村の楽しみ 2017年2月11日放送

つつましやかな生活の江戸時代、福原西国33か所巡りとかのお寺まわりもありました。京都の愛宕神社に参拝するグループ「愛宕講」というのも東尻池村にありました。「火の用心」のお札を代表がもらいにゆきます。お酒2升持参したり、船頭のチップを配慮したり、おみやげも持ってかえります。報告用に金銭も細かく記録されています。要る人にお金を融通しあう「頼母子講」、女子会のはじまりと言っていいようなグループ会合が昭和の半ばまで続いていました。ハレのオフ会、男性も女性も「寄り合い」をつくり、うわさ話に花を咲かせる楽しみもあったのです。


第31話 愛宕講諸色覚帳

神戸市長田区から世界10の言語で放送しています。